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わたしはわたしの愛すべきものを守りたい

この世界は報われないことが多すぎると思う。
自分の無力さをこれまで生きてきて何度となく思い知らされてきた。

わたしはわたしの周りにいる優しく繊細なひとたちを救いたい、サポートしたい、とよく思う。
しかし、別の生命体である以上、そのひとたちに強制はできない。
これまでわたしは何度も、こっちの方が楽だよ、という道を色んなひとに示してきた。
しかし、どんなにこっちの方が楽に生きられると説いたところで、そのひとたちは自分の気が乗らない限り、そちらに目を向けることすらない。

怖くないよ、こんなに壁は低いよ。大丈夫だよ。
その声の多くが届かない。

わたしの気にかけているひとに、Kしゃんというひとがいる。
Kしゃんはうちの近所に住んでいて、わたしは食材や惣菜を持っていく約束をしたり、LINEで話を聞いたりする。

Kしゃんはお金はないがブランド思考で、プライドが高く頑固。世間体を気にするところがあり、仕事で一番を取りたいとそろばん10級からいきなり1
級の試験を受けたがるような、ぶっ飛んだ完璧主義な一面がある。

Kしゃんはいつも、他人を気にしている。そのせいで電車に乗れない。
最近はしょっちゅう発作が出るのだそうだ。
お財布も厳しめで、しかし休んで体を治そうということも、支援の手を取ることもしない。とにかくずっと無理をしている。
Kしゃんはいつも、「マネーがないから」と言って、細い体に鞭打って走り続けている。

もうボロボロだ。
ボロボロなんだ。
傍目から見ても、誰が見ても、Kしゃんは過度に頑張りすぎている。
ネジネジに曲がった姿勢で、俯いて、焦点の合っていない瞳で、大丈夫だと言うのだ。
何がKしゃんをこんなに動かすのだろう。
具合が悪くて仕事を早退しても、電車に乗れないKシャンは何時間も歩いて帰ることがしばしばあり、本当にあんたはもう!とデコピンしたくなってしまう。

わたしがどうしてこんなにKしゃんの心配をするのか。
その理由はいたってシンプルだ。
Kしゃんは頑張っているから。体が悲鳴をあげているのをわかっていても必死に働くところとか、今日のご飯は何にしようとか、あれとこれがあるから明日までは食材が持つとか、生きるのを諦めることなく頑張っているから。

周りから見てそれがどんなに滑稽に見えようが、Kしゃんは歩く足を止めない。
それがあまりに眩しい。Kしゃんのたまに見せる笑顔の輝きが、とても眩しい。
いつでも全力投球して、全力で感情を揺さぶって生きているKしゃんが、わたしには輝いて見えるのだ。

全身全霊で生きるひとの輝きたるや、その辺のひとには敵わないのではないだろうかとわたしは思う。
Kしゃんには生きてほしい。
もっと楽に生きられるよなんて生ぬるい湯の提案をしてごめんね、とさえ思う。

そばにいるのに、気持ちがわかるのに、別の楽な道も見えているのに、わたしはKしゃんに何もできない。
痛々しいKしゃんにできることがあまりにも少なくて。
いつかフッとKしゃんの灯火を吹き消す輩が現れないよう、いや、遭遇したときに風防になれるように、そこだけは頑張りたいが、うまくいくだろうか。

とにかく、わたしの愛するひとたちが、幸せでお腹いっぱいでいれますように。
楽しそうに、仕事中なのも忘れて喜ぶKしゃんの灯火が、そのときが来るまで吹き消されませんように。
無力なわたしの願いが叶ったか叶わないかは、一生を終える前くらいにギリギリで分りますように。もしくはわたしの一生の間に分りませんように。

みんな、生きよう。


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