北の偉人たち 3
ニトリ主催の講演会で最後の講師が
[ びっくりドンキー ]の庄司社長でした。
岩手県盛岡市出身
高校卒業後は東京でプロのジャズドラマーを目指し活動していた。
そんなとき、実家の母親が病に伏せる。
盛岡市に戻り25歳で僅か13坪の店で
( ハンバーガーとサラダの店 ベル )をオープン。
びっくりドンキーの原点となるお店。
地元に戻り今後の生活をどうしよう😥と考える
庄司社長。
何をしたら良いか分からない。
人に会い本を読み様々なセミナーにも出るが、中々答えが見つからない。
そんな中で参加したセミナーで、飲食業界へ踏み込む事となる。
当時の飲食業は、[でもしか商売]と言われていた。
喫茶店[でも]やるか。
ラーメン屋[しか]ないか。
庄司社長は、早速知り合いの店で修行をして調理について学んで行く。
大阪のあるハンバーガー屋さんで学んだそうです。
とにかく生活する為に、必死だったとの事。
似鳥社長や石水社長達と共通していたのが
瀬戸際まで追い込まれた状況だった。
家具が売れず極貧の中、インスタントラーメンしか食べられずに栄養失調で倒れた似鳥社長。
今にも潰れそうな家業を、若さと情熱で乗り越えた
石水社長。
ミュージシャンの夢を諦め、生きて行く為に飲食店を起ち上げた庄司社長。
彼らを突き動かしたのは、理屈や理論では無く
不安 恐怖 絶望だったと感じた。
それでも、生きて行く 豊かになりたい 人々に喜んでもらいたい。
若さゆえの無知から来る情熱と行動力。
行動力の大切さを学んだジジでした。
やがて、大阪での修行を終えた庄司社長は、地元
盛岡で開業。
最初は、不安で一杯だったそうです。
しかし、手頃な価格と味の良さが評判となり
お客様も増えていく。
最初はハンバーガー🍔を提供してたが
ランチメニューとして丸い木の更に[サラダ🥗] [ライス🍚][ハンバーグ]をワンプレートで提供する
現在のハンバーグディッシュが完成する。
地元ではベルさんと慕われ、繁盛したようです。
またお金がない為に店舗の内装は、全て手作り。
楽しんで食事をしてもらいたいと庄司社長の
[人を喜ばせる] サービス精神旺盛な店作りは
現在も健在です。
講演会の当時では、大変進んだ取り組みをしていた
今では当たり前の環境に配慮した企業姿勢。
食品の安全性に対する強いこだわり。
先見の明がある事に、今更ながら感心してしまう。
この辺りの詳細は、びっくりドンキーのHPに
詳しい書いてあります。
話の中で、正業 家業 企業の事を話していたのが印象に残る。
正業 自分一人が、生きて行く為の仕事
家業 受け継がれ、家族という単位での仕事
企業 多くの人が集まり皆で力を合わせる仕事
継ぐべき家業もない中で、庄司社長は自分が生きて行く為に正業から歩み始め、今や北海道を代表する
誰もが知る企業となる。
びっくりドンキーの強さを知るアンケートがある。
ネットで人気のレストランや外食チェーン店のランキングを目にするが、びっくりドンキーは常に上位にランキングされる。
その中で、選ぶ理由が価格が安いとかメニューが
豊富とかでは無く
[ 料理が美味しいから]
店舗内にある格言
小さな店であることを恥じる事はないよ
その小さなあなたの店に人の心の美しさを
一杯に満たそうよ
庄司社長の創業からの変わらね想いが
今でしっかりと根付いている。
最近は、お値段もやや高めになり頻繁には行けないが、無性に食べたく成る時がある。
おわり。