批判する権利
ときどき、「自分はファンだから批判する権利があるんだ」といいながら、野球選手などスポーツ選手やクリエイターに対してとても辛辣な言葉を投げる人を見ます。
その人にとっては、自分と対象の親密さを現す行為なのではないかと思います。「自分はこんなこと言っても許される、なにしろ強烈なファンで、対象も良かれと思って自分が厳しいことを言っていると理解しているはず」という雰囲気を感じます。
でも、言われる対象者にとって、それが心底ありがたいと思えることはほとんどないんじゃないかと思います。むしろファンだから冷たい態度も取れず、曖昧に笑ってやりすごすという、ファンが対象者に気を遣わせるという構図になっていることが多いのではないかなーと思って微妙な気持ちで見ていました。
それから、本人は「批判」と思っているかもしれないけれど、批判と人格否定、誹謗中傷の区別が付いていないと思う人もいます。専門的な知識を持ち、問題点を指摘しつつ改善策の提案までする建設的な批判と、「だからダメなんだ」みたいな誹謗中傷は違うと思うのです。
「編集者も褒めるだけでいい」
コルクの佐渡島庸平さんが、「凡庸な作家のサバイバル戦略—結局どうすりゃ売れるのさ」の中で「褒めることしかしない」といっていたのを見て、「編集者もそのスタンスでいいんだ」と思いました。
漫画家さんと担当編集は二人三脚で時には厳しいことも言う、みたいなイメージがあったので意外だったけれど、確かに文章の方で考えても、編集者は発信者が書きたいことをより伝わりやすくするためのサポートと応援をする存在でしかないなあと思いました。
「現場で動いている人が一番尊重されるべき」というメンタリティーで記者になった私としては、手を動かしている人を批判する権利がある人なんていないという考え方でいます。
今度、ひさびさに書籍編集を担当することになりました。普段は雑誌とウェブの記者と編集をしついるので、書籍編集についてはひよっこです。しかも、書き下ろし本は初めて。分からないことだらけで自信もないので、専門部署のご意見をよく聞こう、と思っていました。
しかし先日、その部署の人から
「そんな感じの本、たくさんあるよね。売れるの?」
的なコメントをされてしまいました。
そのとき、ひよっこのくせに私は火がついてしまい、
「売れるようにするのが私たちの仕事では…?知識がないなりに、できることを全部やって、絶対に彼らの想像以上のパフォーマンスを出そう」と決意しました。
良いと思った部分を伸ばす提案をしたり、自分の持つ情報を少しでも役立ててもらおうと提供する姿勢(ただし、その情報が活用されなくても気にしてはいけない)でいたいなあと、改めて思ったのでした。