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わたしの「性教育観」を変えた授業の話

約10年前、同小学校に広がっていた景色は、教室で窃盗があり、器物破損があり、転落事故がある――というものでした。児童が教員に暴力を振るい、校外で万引きをし、LINEでいじめをし、公共物に引火させる。同級生への暴力がエスカレートし、隷属的な力関係ができている教室では、コンパスが飛び、机の下でマスターベーションしている男児がいて、女児が友人を顎で使う。「教室から物を取りに出ただけで、出血して帰ってくる。端的に言えば、窃盗・恐喝・暴行事件が同時多発している状況だった」

産休前に書いた、京都大学リプロダクティブ・ヘルスライトユニットのSRHRイベントレポート第3弾。感動して書き過ぎてしまったので言い訳を……

●「『生きる』教育~Trauma Informed Education~」小野太恵子氏

2021年4月から、小中高校で「生命(いのち)の安全教育」と題した教育のモデル事業が実施されています。水着で隠れる、いわゆる「プライベートゾーン」を人に見せたり触らせたりしないことやデートDVなど、性暴力の当事者にならないための教育に取り組む方針です。2021年2月11日に行った今回の公開勉強会では、生命の安全教育のモデルになった大阪市立生野南小学校の「性・生教育」について、同校教員の小野太恵子氏にお話しいただきました。

今回、同じコミュニティー(ヘルスケアSHIP)に所属している京都大学の産婦人科医、ゆみえ先生からの依頼で、「性教育」のテーマのイベントリポートを書くことになりました。
私はあまり性教育に関する取材をしたことがなかったので、小学校での性教育というと「性行為をタブー視せずに伝えられるかどうか」みたいなところが話題の中心となっているイメージがありました。しかし生野南小学校の「性・生教育」を知り、性教育はそれ以前に、まさに生きるため、生きていくための教育だと実感。素晴らしい取り組みで、ぜひ多くの人に知っていただきたい内容だったので、さわりを紹介します。

大阪市にある生野南小学校は、事情があって親元で育つことができなかった児童養護施設の子どもが全体の3割を占めるそう。そうした背景もあり、10年前は冒頭のような強烈な環境だった、と教員の小野氏は言います。荒れた児童への対応に追われる教員たちは、授業の準備もままならず、さらに事態が悪化するという悪循環に陥っていました。

「荒れの根底にある心の傷と、それゆえの病的な身体・言語表現を一つひとつ整理していくと、殺さんばかりの殴る・蹴るは、トラウマの再演に酷似していた。良心の呵責とは無縁も当然、心に大切な人など住んでいない」(小野氏)。生い立ちから、支配か隷属という人間関係しか知らず、親切にしてくれる大人には徹底的に試し行動に出る児童たち。神経を逆なでする言動は、「お前はどこにも行かないか」と問うているようだったと言います。小野氏らは、「親の感情を中心に育ち、照らし返しもなかった。そんな人生では、自己は育たない」と、この愛着課題にアプローチしていくことを決意しました。

自尊感情が欠落し、愛着関連トラウマを抱えた児童は、そもそも自分の体の清潔を保つことの心地よさを知らず、自分を大切にすることの意味が分からないため、性教育の話をしても自分の中で実感を持って理解することが難しいのだそうです。

一方、この小学校には、パートナーとの関係がうまく築けず出産・子育てで孤立した親に、虐待されてきた児童も多くいます。虐待を受けた子どもは、将来、パートナーとの関係をうまく築けず、自分の子どもを虐待してしまうといった負の連鎖が起きやすくなります。この連鎖の一端を断つためにも、性教育が特に重要な学校でもあるのです。人間関係といえば隷属と支配の2択だった児童は、隷属する側にならないために全力で支配側になろうとし、際限のない暴力を振るってしまいます。自分や命を大事にする話をいきなり正面からしても響かない教室で、どう授業をしていくのか、というお話でした。

まず目からうろこだったのは、「性・生教育」を含む全ての土台になったのが「国語教育」だったというところ。
確かに普段から、自分のモヤモヤを安定させたり、考えを整理するために言語化の重要性は感じていましたが、小学校の児童たちにも同じく重要なのでした。
「自分の気持ちを正しく伝えられないから殴る」という児童たちが、国語教育で文章の意味や、言葉から相手の気持ちを知ることで、諍いのもとであった違いを楽しむところまで到達。言葉の教育がいかに大事であるか、改めて知りました。

性・生教育の話では、複雑な生育環境の児童がいる中でどうアイデンティティを確立するための取り組みを行うのか。そもそも「恋愛」というものがよく分かっていない10歳の児童にどうデートDVを伝えるのか。親子関係や恋愛関係を含め健全な人間関係をどう学ばせるのか。虐待当事者もいる中で「虐待はダメ」という単純な説教で終わらせず、自分ごととして捉えさせるにはどうすればいいのか。自分の人生を作っていく力をどう備えさせるのか。学年に応じて、教えるべき内容を一つひとつ、どう伝えていくか。その授業作りはとても感動的で、「学校の授業」というもののクリエイティブさに驚かされるものでした。

一つひとつの積み上げなので、いきなり高学年の授業内容を紹介しても唐突になってしまうのですが、一つだけ例を紹介します。6年生で学ぶ、心の傷を考える授業では、日常に起こり得る出来事を、それぞれの価値観で信号機の色(赤:ずっと心に残る傷、黄色:しばらく心に残る傷、青:時間がたてば治る傷)に分けていきます。そして、命の安全に関わる赤信号の出来事は「トラウマ」になることを伝え、深い傷ができるメカニズムを説明します。さらにその傷の治し方として、まず精神科医やカウンセラーなど職業として専門的な人がいることを伝えます。次に、「みんなにもできることがある」という視点で、心の傷の状態が様々である人たちが一緒に生きていくために必要な関わり方を、グループで図式化していきます。

性・生教育の根底に一貫して流れているのは、グループワークで他人の悩みに真剣に耳を傾け、一生懸命解決策を考え合える級友や先生との時間を作ること。教員たちは、こうした人たちとのコミュニケーションが、人を信じる糧となることを願っているそうです。

関心がある方、長いのですが、ぜひご一読ください^^
同SRHRイベントの第1弾、第2弾もすごく勉強になりましたので合わせてお読みください!


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