テクノロジーの進化よりも暮らしの進化を
こどもの頃に感じた「未来」
現在24歳の私にとって”未来”といえば、かつては『ドラえもん』のような”SF"に代表される「あったらいいな」というテクノロジーと人類が夢を持って共存している世界。もしくは『ターミネーター』のようにテクノロジーが人類に絶望をもたらして人類が支配されている世界。それがこどもの時にイメージできた”未来”でした。
どちらも今の科学技術の発展が前提となって描かれた世界。それでも、その時勉強していた理科の内容がいずれはそこまで進化するんだろうと、ある意味、可能性のようなきらきらしたイメージを思い描いていました。
大人になった今、30年後を想像しようとすれば、ただちに世界の社会課題が頭をよぎり、自身の将来の生活への不安が反射的に募ります。
「こどもの頃は、あんなに夢いっぱいだったのに」
高校の時に一緒だった友人と話をしていて盛り上がるのは定番の「あの頃は」の話。苦しかったけども、それでも一緒に頑張って修羅場をくぐり抜けたあの日が懐かしい。多少は思い出補正がかかっているけれども、就活に必死だったあの時とはなんとなく違う未来への「期待感」。今から考えれば何も知らないからこそ夢の中で生きていたのかもしれません。
24年間の変化
今からちょうど24年前、つまり1995年の1月17日は阪神淡路大震災が起こった日です。
ボランティア元年と呼ばれたきっかけにもなった災害。
私にとって24年はまさにボランティア元年からの24年間を経験したと感じています。
この24年で何が変わったのか。平成をまるごとは経験していませんが、30年後の未来を考える尺度として、精一杯イメージできるのがこの感覚です。確かに「ボランティア」という言葉は浸透し、その文化も日本では定着したものとニュースやテレビでは言われます。
確かに、昨年も災害時には数多くの人がボランティアとして何かしようと立ち上がり、日常生活においては子どもや障害者、高齢者支援のボランティアも普通に見かけることが多くなりました。地域共生社会の文脈でもボランティアの存在は欠かせないものです。
しかし、ボランティア文化がここまで浸透して育ったのがよかったのかといえば、それには違和感を感じます。この状況を言い換えれば、今まで地域が自然に支え合っていた文化をボランティアという文化が代替した、みんなのしんどさをボランティアでなんとかしている、ように私には写ってしまうからです。
新社会人の不安
大学時代、地方出身で下宿している友人が多かったこともあって、ちょっと不思議に感じていたことがあります。
「今の時代にもなって、エアコンのない生活で冬とかどう生活してるの?」
「気合で乗り越える」
社会人になっても頑張って安い家賃で生活している友人もいますが、これだけ便利になっていざなぎ景気超えの景気回復期と言われて、30年~40年前の高度経済成長期の時の生活水準とあんまり変わらないって不思議だなと感じます。
そして新卒1年、2年を迎えた24歳同士で話すと決まって出てくる言葉が「孤独」です。
「卒業してから人間関係変わった」
「休みの日なにしたらいいのか、わからない。」
「寂しいけど、友達がいない」
「仲良かった友達は結婚していって孤独。どうしよ」
これだけコミュニケーションのツールが発達したにも関わらず、むしろ孤独になる若者たち。大学進学、企業就職まで頑張ってきたにも関わらず、夢よりもむしろ不安しか「未来」には感じれない。「年金どうしよ」「貯金したほうがいいよね」「結婚なんて」「子どもとか絶対産みたくない」そんな言葉が出てくるのが、大卒新社会人にとってはよくある話に感じます。
私にとって「あったらいい未来」とは
30年後、ほんとうはこどもの頃のように感じたような”夢と希望”にあふれた未来を願います。
でもそれは、『ドラえもん』のように科学技術が発展して便利になった未来ではありません。
誰でも安心して暮らせる未来です。
「お前は努力しなかったから貧乏やねん」
そんな些細なことでもめなくていい未来です。
毎日8時間もそれ以上も働かなくていい未来です。
「だらだらして怠けている」ではなく、余裕ができたからこそお互いのことを思いあえる本当の意味でお互いを支え合う未来です。
そして、何かとスマートにもなってもいいですが、同時に暮らしの水準そのものが進化して「夏になっても熱中症にならない家、冬になっても心臓発作にならない家、お金がなくてもライフラインが止まらない家」みたいな我慢とか気合で気温や環境を乗り越えなくていいようになってほしいです。