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1つの言葉を使用禁止にするということ
差別だから、ヘイトだから、と、急に遣えなくなる言葉があります。
それは多くの人を傷付ける言葉でもあるのだから、遣わない方が優しいのは間違いない。
社会的にもたぶん良いことです。
しかし同時に、その言葉に苦しみながらも頑張っていた人達の成果を、水泡に帰すかもしれないという事実を、多くの善良な人達には認識していただきたい。
私も、差別表現や悪口は嫌いだ。
できれば使用したくはない。
だけど今回はあえて、比較的嫌がる人の少ないと思われる『アホ』という言葉を例にしてみようと思います。
『Aさんってさ、アホだけど凄いよね』
もしもこんな会話を耳にした時、あなたは褒め言葉だと思いますか?
それとも単なる悪口だと思いますか?
私には答えなんてわかりません。
台詞には、状況や感情や関係性など、複雑な要因が絡み合っているので、単に言葉としてのみで考えた場合は、明確な解ってのは存在しないんじゃないでしょうか。
その辺に関しては、それぞれの感受性や考え方もあるので議論する気はありません。
ただ、もしも『アホ』という単語が差別だからって禁止されたらどうなるのか? ということを考えていただきたいのです。
『アホ』という表現がなくなれば、普通に『凄い』だから、もっと良いことじゃね?
もしかしたらそんな風に感じるでしょうか?
しかし心理学的にも統計学的にも、ギャップがある人ほど凄いと認識されるようになっています。
『普通に凄い』だけの人と、『普段はもの凄くアホでどうしようもできないけど、本当は凄い人』、後者の方を、より多くの人が無意識に上だと判断してしまうわけですね。
ヤンキーが更生して母校で先生をしたり、
引き籠もりがアイドルグループのセンターに選ばれたり、
クラスの皆からバカにされて高校中退した人がお笑いで成功したり、
キモキャラだったはずの人が、誰もが羨む人と結婚したり、etc.etc.……
もっと身近にいそうなのだと、
太っているのに踊れる人だったり、
格好良くはないけれど、細かいことまで気を配れる男子だったり、
可愛くはないけれど、明るくてとてもモテる女子だったり、
etc.etc.……
このままだとちょっと長くなってしまうので、端折ります。
多くの人達が〈それ〉によって苦しめられた差別。
見下すのが目的の、言葉・表現方法。
そんな酷い状況に晒されていながらも、乗り越えようと頑張って活躍する人が、世の中にはたくさんいます。
差別を根本から無かったことにするために、特定の言葉を禁止した場合、多くの被差別者が自動的にその言葉で苦しむことは少なくなるのでしょう。
個人の努力云々なんて関係なく。
しかし同時に、周りから小馬鹿にされていながら、反骨精神によって活躍してきた人達の魅力が、打ち消されることにも繋がります。
差別に負けなかったという事実を周りに伝えたくても、その言葉が禁止されてしまうので、『実は○○で苦しんだけれど、それに負けずに頑張った』というエピソードを、世の中に発信することさえ難しくなってしまいます。
そんなわけで、そろそろ私が何を言いたいのかということをまとめましょう。
すでに同じようなことを何度も書いておりますが……。
どんなことにでも、良い面と悪い面は必ず存在しています。
何かの言葉を禁止するということは、その言葉によって苦しめられている人達を救うだけでは済みません。
その言葉に負けまいと頑張った人達の成果を、同時に打ち消すことでもあるのです。
差別表現を極端に忌み嫌って、とにかく無くしようとばかり考えている皆様、どうかこの事実だけは、頭の片隅に入れておいて下さい。
これからの時代は、単に都合の悪い言葉や表現を禁止するだけではなく、別の方法を模索するべきではないかと私は考えています。
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