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「人生再設計」という言葉を生み出す人たちについて

就職氷河期がない事にされそうです。

支援策の具体案としては、ハローワークや大学等が連携し3年で対象者半数の雇用を安定化させること、中途採用等支援助成金などの要件を緩和すること、地方への人材移動の促進などが検討されているという。

傲慢で軽薄、人の心がなくて空虚だと思う事が多い最近の政治ですが、また人を不快にさせる言葉を投げつけてきました。

こうしたワードを出してくる光景を何度も経験しています。女性が輝く、一億総活躍、人づくり革命、そして人生再設計...こういう派手で、自分たち頑張っている感を出す仰々しいスローガンをうって、それでもう満足しているのではないでしょうか。

人生再設計、少し前の人づくり革命の雰囲気とよく似ています。人間を命あるものではなく、何だか物とかコマ、単位や機械のパーツとして考えている根があるから生まれてくる言葉のような気がします。

就職氷河期というネガティブワードを言い換える事によって、過去の出来事をなかった事にはできません。就職氷河期で辛い思いをして実際に凍え死んだ人たちがたくさんいるわけです。(この「凍え死んだ」は就職氷河期の影響を思い切り受けたという比喩と、あとは絶望して本当に命を絶った人たちの事です)それをまるでなかったようにされるのはどうかと思いますし、政治をする人はこうした出来事を決して忘れてはいけないはずです。

個人で一生懸命努力をしてもどうにもならなかった時期を、何だか「人生の設計が誤っていたからこちらでうまい事設計し直します」みたいに思える言い方にするセンスを疑います。また、言葉を言い換えてもそのプロジェクトが何も進まないという事を幾度となく見てきているので、この再設計が本当に機能するのかも疑問です。

どうしてこんなに冷淡な単語が浮かんでくるのか不思議なのですが、それはきっと心がないからです。人の心がないから軽薄で空虚。自分の気持ちや考え、人を慮る気持ちがないからです。そして不勉強でそれを認めない、だから厳しい所を突っ込まれると感情的になったり、知性を感じられない言葉を発するわけです。

もし「人生再設計」がうまくいかなくても、以前の「約束とは異なる新しい判断」というもので済まそうとするのかもしれません、言い換えが常套手段の方であるならば。世ではそれを反故と言って私達ではそんな言い逃れはできません。

言葉について思う事として、最近の「誤解を与えたので謝罪する」という言い方も、この上なく気持ち悪さを感じます。相手が傷ついた発言をしたのにも関わらず

「何だか自分の言いたい事が間違った伝わり方をしたみたいで、相手が誤解をしてしまったみたいなので、そんな感じになった事については、そこだけはとりあえず謝ります」

というような、間違いを相手に付け替えるという表現がはびこっています。

この「人生再設計」も、充分な対応せずにいた氷河期という問題を、個人の人生というものに細かく分け、またしても相手側に付け替える表現にして何もなかったようにする手法なのではないでしょうか。

今回の取り組み、もしかして支援が目的ではなく「とりあえず就職氷河期という言葉をなくし、この国にそういう時期はなかった事にする」という事が目的なのでは。壮大なる絵に描いた餅をこれでもかと見せられていればそう疑わずにはいられません。

最近の政治は言葉を大切にする人、相手を慮る心を持つ人、素直に謝る人、そして口にした言葉に責任を持つ人がいないようです。

再設計が本当に必要な所はどこで、いったい誰なのでしょうか。


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