見出し画像

「自己責任」はこの国の病巣の表れ

※2020年6月30日 少し書き直しました。

画像1

2019年1月22日 毎日新聞夕刊「孤独は自己責任 日本人突出44%」

「自己責任」と言う言葉に対して、人への無関心さ、そして人を慮ったり社会のおかしな所を考える事を放棄するような恐ろしさを感じていましたが、この記事で具体的な数字が出ていて本当に寒気がしました。「孤独は自己責任」というこの生きづらい空気こそ、さらなる孤独を生んでいる事を改めて感じました。

アメリカやイギリスよりも「集団」のイメージがある日本の方が「孤独は自己責任」と人を切り捨てているという事が数字で示され、この国のドロドロとした病巣を見た気がしました。調和を重んじているかのように言われているものが、実はそれは「排他」を言い換えていただけなのではないでしょうか。

誰しも孤独を感じる事は多かれ少なかれあると思いますし、そこに至るまでには人それぞれ理由があります。自分の力だけでもどうしようもない事もたくさんあります。それについて他人に自己責任と言われる事はないと思いますし、物事の根本的な問題を全く考えることなく、「自己責任」で個人に押し付けて終わらせるようでは何も物事は解決しません。

孤独を感じるだけでなく、自己責任という恐ろしい考えによって「孤立」してしまった人もたくさんいるはずで、それが日本の自殺率の高さに表れていると思います。

画像2

2019年1月18日 毎日新聞夕刊「自殺者9年連続減」

自殺者が減っているという事ですが、それでも2万人超。1時間に2人は自ら命を絶っているのです。苦しんでいる時に周囲から自己責任だと言われたり、またそんな空気が蔓延していたら誰かに相談できるわけもありません。自分が悪いと責め続けて、自ら消える事を選んでしまうでしょう。

画像3

2019年1月19日 毎日新聞朝刊「未成年者の自殺増」

未成年者で自殺が増えているのも閉塞感の現れです。自殺は社会的殺人と思いますが、自己責任という言葉は人や社会をじわじわと苦しめています。他人を責めながら自分のこれからを生きづらくしているのです。

自己責任という言葉を大勢が乱発する事で、多くの人を泣かし、そして自殺に追いやっていても、誰も自分が死神の大鎌を振り下ろしている一人だと思いません。

その人の状況をしっかり知ろうとせず、簡単に人を責める言葉「自己責任」を使う。それは自分の無知や無関心を示す言葉で恥ずべき事なのです。

厚労省は自殺者が減ったことについて「景気回復に加え」と書いてありますが、勤労統計の不正問題もあり、もう様々な数値が出ても疑念を持ってしまいます。なにより景気が回復したというのを誰が感じているのでしょうか。

国のトップにいる人たちから自己責任論が出てきた2004年から勤労統計の不適切な調査が始まっているのも興味深いですが、厳しい生活を強いられている人たちと省庁の温度差、そして調査の不正。この自殺の数値もいろいろと気になる所ではありますが、この数字が正しいものとしてもこれだけの若い人が命を絶つ国なんです。健康や家庭の問題で悩んで希望が持てない状況も自己責任なのでしょうか。

景気や貧困対策、自殺対策も良くなっているとは思えない中で自己責任だけが広がっていき、それなのに政府や自治体に様々な不正があってもそれは誰も責任を取らないという状況。これはどういう事なのでしょうか。国そのものが死に向かっているのではないでしょうか。

人の数だけ人生があるのだから、そこに至る理由も様々。自身ではどうしようもない事もあります。だから、それを知らないし知ろうともしない人に「自己責任」と言われても「あなたの事を知らずそういう事言ってくる人がたくさんいるかもしれない、だからせめて自分だけでは自分の味方でいてください。自分を決して責めないでください」と私は言い続けていきたいです。

自分の事で言えば、私は恋人を病で失いショックで精神疾患になったり人災で自分の家を失ったりしました。そして自死遺族にもなりました。自分の努力ではどうしようもない事で何度も挫けそうになりました。それでも自己責任なのでしょうか。

遠くから石を投げるのは簡単です。当たった人の流れる血も、痛みの涙も、怒りで体が震えているのも見ないで済むからです。「自己責任」などと簡単に使う前に一度落ち着いて考えてみてください。

自分に落ち度がなかったとしても、明日になればあなたにも「自己責任」だと石が飛んでくるかもしれないのですから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?