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武田砂鉄さんがラジオ番組のオープニングで話していた話が面白かった

先日ラジオ番組で「LGBTとハラスメント」を取り上げるという事で、TBSラジオ「ACTION」をタイムフリーで聴いていました。

その回のオープニングで武田砂鉄さんの話が面白かったので、メモとして残しておこうと思います。

小池さんにしろ吉村さんにしろとにかくテレビに出たい人で、それが政治戦略になっている所もあるんですけど。この狙いがここまで露骨なのにどうして目立ちたい欲の危うさが問われないんだろうかと思うんです。

今週僕はある本を読んでまして、2013年に亡くなった天野祐吉さんという雑誌の広告批評とかコラムニストであった方の本の『テレビは嘘が嫌い』という本、1986年に出た本を読んでいたんですけど、ここでテレビに伝わる言葉について厳しく書いているコラムがありまして。
天野さんよくテレビに出ていたんですけど、テレビに出た時の反応は3つの型に分かれる。それはニヤニヤ型、ジロジロ型、キョロキョロ型。

ニヤニヤ型は「ゆうべ見てましたよ」浮気現場を見られたかのように片目をつぶってくる人がいる

ジロジロ型は「実物よりずっと男前に映ってましたね」人の顔を不思議そうにのぞき込んでくる人

キョロキョロ型は「ゆうべ着てたセーターあれどこで買ったの」服装しか見ていない人
いずれにせよ共通するのはテレビでは話の内容などほとんど伝わっていない。見た目の印象批評ばかりなんですよという話を書かれていて、天野さんはそれをふまえた上で「よく視聴率って言うけど視と聴を同じにするのはおかしいのではないか。視率と聴率に分けた方がいい」という風に書いていて
これは皮肉を込めて書いているんだけど「視聴率の内容をさらに細かく分ければ視率93%、聴率7%の配分で人はテレビに接しているのかもしれない」

と辛口で書いているんですけど、そう考えると小池都知事のパネル芸とか吉村知事がうがい薬をダーッと並べる感じって、まさにこの視聴率と言うよりも視率を意識したもので、それで何か大きな決断をしたように感じるのは僕らがすごく視率に慣れているという所があると思うんですよね。
天野さんはこういう風にも書いていますね。
「政治の言葉やマスコミの言葉と言うのは、本当にもう言葉ではないと僕は思う。言葉の形はしているけど、あれはこん棒や石ころみたいなもので、人をねじ伏せたりかりたてたりするのには使えても、人間の心に届いてくるようなものでは全くないと思うのだ」

これ86年に出されたものなのでもう35年近く前になりますけど、この半年近くコロナ禍の中で暮らしてきているわけですけど、テレビに映りたい人たちの視聴率じゃなくて視率目的の様子って言うのをたくさん浴びてきましたよね。

知事じゃなくて一方首相は先手先手とかスピード感を持ってとか繰り返して
最近は高い緊張感を持って注視している事ばかり(中略)高い緊張感を持って注視しているという言葉は僕はとても気になるんですよね。
さっきの天野さんのコラムに戻ると、このコロナ禍の中で、テレビに映りたい人たちの視聴率ではなく視率目的の言葉をたくさん浴びてきたわけですけど、小池さんや吉村さんは見られると言う事を意識しているんだけど、安倍さんはもう見られるって事からも逃げてしまって自分が視聴者になっているんですよね、注視しているんだから。
これでやっぱり思い出しましたよ、僕は。あの星野源さんとの便乗動画の時に安倍さんリモコンいじっていたな、ここで伏線回収してきたなと。これはなかなか宮藤官九郎でも思いつかない伏線の回収の仕方ですけど。

政治家の皆さんが視聴率の中でも聴率よりも視率を優先し続けている状況がずっと続いているんで、天野さんが35年前に言った事を思い出すと視率というものに惑わされてはいけないなという風に思いますね。

すでに35年前から政治やマスコミの言葉は「言葉ではない」とわかっていたんですね。災害などの非常事態の対応などで資質が見えてくると思うのですが、このコロナ禍では本当にそれが浮き彫りになったと思います。

言葉を大切にしない、人の生活や命、心を思う事ができない人は誰なのか。正しい情報をしっかり伝えず、どう対応していくかを明確にしないのは誰なのか。

その間にも人々は疲れ果て、感染は拡大、経済は衰退という最悪の状態に向かっています。特に政治をする人は自分の言葉に責任を持たなくてはいけません。

吉村知事はポビドンヨード会見をした翌日に「誤解されている。予防効果があるとは言っていない」と受け取り側の問題であるかのように発言。

小池都知事は感染防止対策でアクリル板を設置している取り組みについて「アクリル板を作ってすき焼きを食べて、おいしいかっていうのはよく分かりませんけれども」などと発言した部分が会見録では削除されていました。

自分の言葉を相手に問題があるとしたり削除したりという手法からしても、やはり言葉を大切にしているとは思えません。首相はもう突っ込まれるのも嫌なのか、注視するのみで具体的に踏み込んだ対策については話しません。

コロナ禍は、為政者たちの不用意で無責任、そして人の血が通っていない発言や対応によって拡大してしまった人災ではないでしょうか。

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