似顔絵のアレやコレやを考えた
あれは何年前だったか、夫の同僚の結婚式に呼ばれた時に、なんかサービスとかで、出席者ほぼ全員が似顔絵師に声をかけられ、色紙に似顔絵を描いてもらった。私も描いてもらった。というか、描かれたというか。
披露宴が始まるまでの"待ち"の時間に女性の似顔絵師さんが寄ってくる。『今日はご夫婦でご出席ですか~?』『へぇ、新郎さんとも新婦さんともお友だちなんですねぇ!』とかいう無味乾燥な会話をしながらスラスラと似顔絵を描くこと4分くらい。色まで塗って完成して受け取ったけど、正直嬉しくなかった。似顔絵は上手かったかもしれないが、美人でなくて、本物よりブスだった。似顔絵の真髄とはそうなのでしょう、一部分を誇張して、美人さえも面白い顔にしちゃう。だけど仮にも結婚式に呼ばれてるってことは、かなり気合いを入れた服装にメイクなわけ。なのに、きれいに描けないって、失格じゃね?と、思ったのもはるか10年以上昔の話で。
私は、やや出っ歯で、それがまぁ、コンプレックスだったり。それ以外にも、まあキリがないほどコンプレックスがある、美形ではない顔で。モノゴコロついた頃から鏡を見て観察してきた限り、美人かそうでないかのグループにわけられることがあれば。必ずそうじゃない方のグループに入る自信しかなかった、常に。だから、自分の似顔絵はいつも慎重に慎重を重ね、誰より美人に描かない努力をし、なおかつ美人でなくても可愛げのある顔の似顔絵の研究に人一倍時間を割いた。その結果、大体への字口、あるいは波線の口、決して大きくない瞳、寸胴鍋のような顔の輪郭、そのようなパーツで人を不快にさせない自分の似顔絵イラストを人の100倍必死で描いてきた。
だからこそ、あのかわいくもないグロいぐらいの不細工な似顔絵は、許せなかった。プロ意識、同性としての美意識も共有できず、許せなかったし、悔しかった。ちなみに私もその似顔絵師も女性で。
そういう、似顔絵師の話はともかく、人が誰かの顔を描く時、描き手の顔がベースになるなぁと、最近思っている。描き手の顔が穏やかな雰囲気なら、その人の描くイラストの人はほぼみんな穏やかな顔していたり、目が大きい描き手なら、イラストの人たちはたいがい目が大きめだったり。
それとこれとは少しずれるかもしれないが、高橋留美子の漫画の登場人物、やたら髪の毛がフサフサで、それが気になってたまらない。私の仮説では、高橋留美子の髪はフサフサなはずなのだ。私の髪はかなり多くてフサフサだから、余計に気になってたまらない。
同じフサフサ路線なら、鳥山明もそうなのだ。私から見れば、髪の毛がないキャラクターはともかく、髪の毛がフサフサ、ボリューミーなキャラが多め。
テレビアニメでよく観るから知ってる程度なんだけど、あだち充もそうだなぁ。って、写真だけども、見たことある!そんなにフサフサじゃなかったかも。
髪だけ見るのも偏りすぎだけど、あだち充の顔は、タッチに出てくる中年のおじさまって顔だったなぁ。雰囲気はやはり似てる。
少し飛んでカイジ。作者の福本伸行は、実写版の映画に出てたくらい、顔出しする人だけど、グラサンのイメージが。グラサンの奥の目はわからないんだけど、カイジにやっぱり似てる、雰囲気。性格はわからないけど、見た目はかなり似てるはず。
で、かなり話が飛ぶけど、イラストとか、似顔絵とか、描こうと思って描ける人って案外少ないんだなぁって大人になって知った。自分が子供の頃からラクガキ程度ながらずっと絵を描いてきたから、犬とか猫とか簡単な人の顔とか、頑張ったらあんまり似てない似顔絵くらいは描ける。でも、人に見せれる絵は描けないって人の方が断然多いなんて思わなかった。だってみんな小学生の頃とか、めっちゃ描いてたやん。それで描けへんて嘘やろって、けっこう最近気付いた。
そんなこんなで似顔絵についてのアレコレを、ばらまいてみた。収拾はつかない。
ひとつ、うちの子達は、将来描ける人に育ってほしいなぁ。豊かな人生のために。