ふわっと護ってくれている神さまの話
『神さまの話』といっても、なにか特定の神さまの話ではなく、日本昔ばなし風味です。
前半は「そういえば、昔おばあちゃん、おじいちゃんもそんなこと言ってたよなあ」と思い出すような、忘れていたけれどそういうこと大事だったよねって話です。
後半は、笑ってください!元気になれると思います!
ふわっとやさしく護られていた祖父母の家
両親とも仕事で忙しかった私は、1歳から小学生になるまで、平日の大半を祖父母と大叔母が暮らす家で過ごしていました。
その家は、『古民家』なんて言葉もない頃の古い木造の家でした。トイレは水洗でなく、家の渡り廊下の間にありました。
茶の間の高いところに神棚があり、毎朝大叔母がごはん、お水を供えて手を合わせていました。台所には『おくどさん』と祖母が言うお札が貼ってあり、手を合わせていました。
神棚にお供えしたごはんを、大叔母はいつも私の口に入れてくれました。神さまのごはん、と呼んでいたそれは、冷たくて硬くてあまり美味しくはなかったです。
「面(おもて)の店」と大人たちが呼んでいた道路に面したスペースでは、大叔母が小さなお店を営んでいました。お菓子、菓子パン、ジュースやアイスクリーム、たばこを売っていて、今のコンビニをもっともっと小さくしたような店でした。
「奥」と呼んでいたスペースが祖父母と大叔母の住まいになっていて、私は店や奥で1日の大半を過ごしていました。
店はお客さんが来ると賑やかで、奥はいつも静か。奥で1日のほとんどを過ごす祖父と祖母があまり会話をすることもなく、子どもの私が遊べるようなおもちゃもあまりありません。
でも、私はその家が好きでした。静かで落ち着く、神社のような家でした。
祖父母と大叔母は神さまを大事にして、神さまと共に暮らしていました。
なにか特定の『神さま』ではなく、目に見えないけれどいつもふわっとそこにいて、護ってくれている。そんな存在を『神さま』として大事にしていた気がします。
そういうことを祖母たちから言葉で教わったわけではありません。
その古い家で、祖父母たちと過ごす時間を重ねていくうちに、無理のないかたちで、私の身体に少しずつ流れてしみ込んでいった。そんなふうに思います。
やがて小学生から中高生、大学生、社会人と、大人になるにつれて、あの頃のこと、自分の身体にしみ込んでいったものも忘れていました。
思い出したのは、12年前のこと。彼女との出会いがきっかけです。
ジャスコで白菜切ってた彼女
知人から誘われた「ブログ講座」。日記代わりにブログを書いていた私は、講座を受けるほど本格的に書きたいわけでもないし、それほど親しいひとからの誘いでもないしと、断るつもりでした。
「まあでも、内容だけでも読んでみよか」と、案内のメールに書かれていた講師プロフィールのタイトルを読んで、気持ちが変わったのです。
「え? なんなん、この人⁈ めっちゃおもろいやん!」
しかし、彼女のおもしろさだけに惹かれたのではありません。
シングルマザーだった私は、離婚当初まさに同じ時給でパートで働いていたからです。
転職して大学の研究所で働くようになり、時給850円のパートからは脱却できました。それでも未来が描けず、不安も感じていました。
「彼女はジャスコであの頃の私と同じ時給で白菜切ってたスタートから、どう人生を展開していったんやろ?」
そこにも興味がありました。
さらに続く彼女のプロフィール。
彼女はそう考えましたが、タロットカードの意味が覚えられない。そこでひらめいたのです。
彼女は、カードの絵を見ながら自分で解釈をつくっていき、占い師としてデビューしました。
占いの館で働き始めると、あっというまに売り上げ1位となり、その後店長やアドバイザーとなった彼女は、独立してセラピストとして活躍していました。
一気にプロフィールを読んだ私は、即講座を申し込み、当日楽しみに会場へ足を運びました。
講座の内容はほとんど覚えていないのですが、その時彼女が教えてくれて、今も書くときに意識していることがひとつあります。
ブログ講座受講後、家で彼女のブログを読み漁りました。そして、彼女がタロットやセラピスト養成講座を開催していると知りました。
「へー禅タロット? 知らんけど、彼女の講座4回受けられるんやったら絶対面白いやん!」
私はその2か月後、「ようわからんけど、面白そう!」という理由で、彼女の禅タロット講座を受講しました。
禅タロットどころか、タロットカード触ったこともない、タロット占いをしてもらったこともありませんでした。
ただ、前日、ものすごく楽しみでドキドキしていたことを覚えてます。
長くなるので、続きはこちらへ。
彼女が主催するイベントやワークショップに参加するうちに、今まで出会うことがなかったひとたちとのご縁がつながっていきました。
見えないけれど大事なこと、護ってくれているものの話を、明るく、軽やかに、濃く、時に静かに話せる。今まで出会うことなかった人たち。
学生時代や職場の同僚、子どもが通う学校の保護者。そのどこにもはまらない、友人関係が始まりました。
彼女たちのおかげで、私は自分の身体にしみ込んでいたものを思い出しました。
今、私は夫と息子と三人で、子どもの頃、シングルマザーの頃とは遠く離れた、横浜のマンションで暮らしています。
最近彼女とも、あのとき一緒にいた人たちともご無沙汰しています。でも、あのとき思い出したことを忘れることは、もうないでしょう。
あの頃祖父母たちの家のように、私と家族が暮らす神さまが、今もふわっと護ってくれています。