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「悪い質問などない。あるのは悪い答えだけ。」

レイキ関係のウェビナーに参加した時のこと。

同じ師範を持つ世界中の門下生たちが集まるセミナーで、師範を交えこれまで習ったことの復習をするという会があった。セミナー中は何でも思いついたことを質問してくださいね、ということだったので、以前から気になっていたことを質問してみた。そしたら師範からかなり厳しい答えを頂いてしまった。

でも自分でもなんとなく答えは予想できていたので、他の門下生の前で厳しい言葉をもらって恥ずかしいとか、悔しいとか、そんな感情は全然なく、曖昧な部分をはっきりすることができてスッキリしたな、と思ったぐらいだった。

でもセミナーの司会進行役だったウクライナ人Vさんの目には、私のことがとても気の毒に映ったらしい。セミナー終了後、皆がZoomから退出した後に「気にしないで良いと思うよ」と声をかけてくれた。そして彼女が話の最後に言ったのが、

「悪い質問なんてないからね。」

という言葉だった。

実はこの言葉がウクライナ人の口から出たので少し驚いた。というのはデンマークに住んでいた時にいろんな場面で耳にしてきた言い回しだったからだ。デンマークのことを思い出して少し懐かしくなった。

実際の言い回しはもう少し長くて

「悪い質問などない。あるのは悪い答えだけだ。」

という表現である。つまり、悪い(バカな)質問なんてないんだから、どんどん質問しなさい。それを上手く答えられない方が悪い、ということである。

そして実際にデンマーク人たちはその言葉通りに、どんな質問でも投げかける。例えば教室で、

・ちょっと授業の本筋とはズレているような質問でも堂々とする。質問するタイミングもあまり気にしない。

(私の心の中のツッコミ→「それ今の話題と関係ある?」)

・誰かが今さっき質問したことと被っていても、それと同じ質問をする。

(ツッコミ→「さっきAさんが言ったやん!」)

・先生が今さっき教えたことであっても、同じ質問をする。

(ツッコミ→「今先生が言ったやん!」)

・答えがはっきりと教科書や資料に書いてあることでも質問する。

(ツッコミ→「そこに思いっきり答え書いてあるし!」)

等々である。

教室だけに限らず、大人が集会する時であっても同じことが起きる。そのたびに何度彼らに突っ込んだか分からない。

でもそれを裏返して見ると、自分が質問する側になった時に「私の質問、もしかしたらしょうもない質問かも」とか「バカな質問でみんなの時間を無駄にしたと思われたらどうしよう」とか気弱なことを考えている私がいるのも事実だ。

そして結局そうやっている間に質問の時間が終わってしまい、どうしても聞きたいことがあれば授業の後に先生を捕まえて尋ねる羽目になるのだ。よく考えるとこっちの方が面倒だし、先生の時間を奪っていることにもなる。

もう一つ言うと、答える側が真摯に答えてくれるから、という理由もある。どんな質問を受けても先生はちゃんと答えてくれる。「さっき言ったでしょ」とか言わないで、「ちょっと繰り返しになるけど」と前置きし、丁寧にもう一度答えてくれるのだ。

悪い方があるとすれば質問ではなく、答えの方なのだ。

そう考えると、先生であったり講師であったり、質問に答える役割についている人はかなりの技術が必要だなと思う。質問する側が満足するような答えを提供しなければいけないのだ。すごく難しそうだ。

時間が経つにつれ、こういう環境と言うか、国民性みたいなものにも少しずつ慣れてきて(デンマーク人の気質についてはいろいろ他にもあるのだが、また機会があれば別に記したいと思う)、デンマーク人ほどではないが、質問をすると言うことに対してそれほどビクビクしなくなった。

そして他人の質問に対しても、質問する本人は別に「しょうもない質問」を敢えてしているわけではないし、本人が聞きたいことを聞いているんだから良いじゃないか、と鷹揚に構えられるようになった。

質問は答えを得るためのものであって、周りを気にして聞きたいことを聞けない方がもったいない。日本の「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」と似ているかもしれないが、デンマークの言い回しはそれをさらに超えて、聞くことは全く「恥」ではない。とても気楽な考え方だと思う。



※あくまで私個人の体験です。デンマーク人が皆こうである、ということを表わすものではありません。


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