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ネパールいろいろ(3)物乞いのビムラに出会う

(不便なこともあるけれど、それを忘れるほど新しい体験がいっぱい。
2012-13年の滞在記です。)

ゲストハウスのすぐ近くにあるボウダナート・ストゥーパは、前回書いたようにチベット仏教の聖地のひとつであり、早朝から夕方遅くまで参拝者が絶えない。仏教徒や遠くからの巡礼者に限らず、観光客、ヒンドゥー教徒もやって来て、真言やお経を唱えながらそのストゥーパの周りを時計回りにぐるぐるぐるぐる回る(↓白い壁のようなものがストゥーパの根元)。

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そのストゥーパをぐるっと囲むように、お寺や僧院があったり、レストラン、お土産屋さん、ゲストハウスが立ち並ぶ。

さらにその円形の広場から放射状にいくつか道が伸びていて、法衣専門店、仏具店、シェルパ族やタマン族の民族衣装屋さん、路上には果物屋やスナックを売っているカートなども出ていて賑わいを見せている。

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そんな中、いつも同じ女性が2、3人集まって物乞いをしている場所があった。ちょうどストゥーパからゲストハウスへと続く道の途中、彼女らは小さな赤ちゃんを抱いて「この子のミルク代がありません、恵んでください」と道行く人(特に観光客)に声をかけているのだ。それも結構しつこく。面倒に思ったので、いつもそこを通るときには、距離を置いてササッと足早に通り過ぎるようにしていた。

ところがある日、夫がそのうちの1人の女性と喋り始めた。「え、なんで?」と思ったが、ミルク代を渡すわけでもなく、普通に会話をしている。私より長く滞在している彼は、どうやらその物乞いの女性と顔馴染みになっていたようなのだ。夫は世界中どこに行っても必ず友達ができるという技を持っている。

彼女の名前はビムラ。インドの貧困地域から出稼ぎにやって来たと言う。そう、この物乞いも一種の仕事なのである。

側でドギマギしている私を紹介して、これからは私たちを見かけても物乞いしないでくれることになった。で、その約束は本当で、通りで夫と私が歩いていると、ビムラと仲間たちは目配せして知らん顔してくれるようになったのだ。


ビムラのように外国から出稼ぎにやって来たという人は少なくないらしい。ネパール自体も貧困問題を抱えているというのに、さらにそこで出稼ぎをする人がいる。繁華街に行くと、ビムラのような物乞いをよく見かける。タクシーに乗って信号待ちをしていると、ボロボロの服を来た子どもたちが、窓を叩いて何か恵んでくれと訴える。彼らが何人なのかは分からないけれど、そういう人たちがいると言うのも事実。また一方では、富裕層に属する人もおり、いわゆる華やかな世界も存在する。こういう貧富の差はカースト制度(1962年に法律上では廃止)の名残りだともいわれているが、これはまた別の機会に触れようと思う。


さて、そんなことで知り合いになったビムラから、ある日声をかけられた。

「家でお茶飲んで行ってよ。」

というのである。家があるんだ、という驚きと(物乞い=ホームレス、ではない)、お茶に誘ってくれるって、本当に大丈夫??という疑いの気持ちでえ、え、え、となっている間に、さっさと夫が「OK~」と返事をしてしまった。ここは夫の「安全センサー」を信じて、付いて行ってみることにした。

続く、、、




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ネパール行きのきっかけとなったのはこの方、Kancha Sherpaさんでした。
彼を主人公にした映画の製作がそもそも全ての始まりです。
配給先募集中です!

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”Kancha Sherpa 
1953年エヴェレスト山 人類初登頂をサポートした最後の生き残り”
トレイラーはこちらから↓
https://lastofthefirst.net/index.html

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