見出し画像

昔よく通った道を久しぶりに歩く時や、以前訪れた旅行先にまた出向く時、記憶の上書きをしているような気分になる。

一定期間その場所を離れてまた同じ場所に戻ってくる時、その場所を歩きながら当時のことを思い出す。
例えば特別な感情もなく使っていた通勤路にも、なんらかの記憶が纏わりついていてそこを通るだけで普段思い出さないような昔の出来事が急に蘇ってきたりする。

昨年私は久しぶりに長期間日本に滞在した。
日本社会で再び仕事をするという体験もした。実に15年ぶりのことである。

新しい場所、新しい人々の中に自分自身を慣らしていって、それがやがて自分の日常になる。そしてまた別れのときが来たら、その日常は過去のことになり、別の日常に取って代わられる。

変化することに対してそれほど大きな心の揺らぎはない。ただ移り変わっていくだけ。しかしその移り変わる日常の場面場面にはもちろん様々な感情が存在していた。

職場の人との会話、楽しいこともあれば時にちくっと刺さる言葉もあった。通勤路を歩きながら毎日考えていたこと。これから自分はどうなるんだろうな、とかいう漠然とした不安。昔々パートナーと同じ道を歩いた時に思っていたこと。

それぞれの道や風景に記憶が引っかかっている。
それを新たに回収しながら、今、時間がたってその当時とは変わった自分が再び同じ場所を通り、今の感情で思い出の上書きをしていく。

そんな感覚をここのところ頻繁に感じる。
期せずして人生の大きな転機をくぐり抜け、以前の自分とはずいぶん違った人間になっていると思う。たった数ヶ月前の自分ですらすっかり過去の人物のようだ。
それは確かに自分ではあるのだけれど、脱皮を繰り返す動物のように何かが新しくなっていて、振り返って抜け殻を見つめるようなそんな感覚。

脱いだ皮にくっついた負の感情も楽しい思い出も、記憶には残り続けるだろうけれど、今の自分が持つ感情で上書きされて薄く薄くなる。

次また同じ風景を横切るときの自分にはどんなアップデートされているだろう。今が最新版である自分が一瞬後にはもう最新ではなくなっている。
どれだけの回数脱皮した自分が「今」の自分を振り返るのだろうか。




いいなと思ったら応援しよう!