博覧会の思い出 ~残されたお堂
Pildammsparken(ピルダム公園)
スウェーデン第3の都市マルメは公園の街としても知られている。
いたるところに大小様々な公園があり、その緑が憩いの場を与えてくれる。
中でも中心地にあるPildammsparken(ピルダム公園)は人気のある公園だ。
大きな貯水池の周りに複数の芝生広場あり、野外劇場あり、木立を抜ける散歩道、野外幼稚園もある。
残されたお堂
そんな広大な敷地の中にぽつんと忘れられたようにお堂が立っている。
その古めかしい佇まいのせいか、そこに座る人がいるわけでもなく、子どもたちも脇を素通りしていく。
私はこの人を寄せ付けない雰囲気のお堂がとても気に入っている。
通り過ぎながらその美しいフォームを見て、ふーっと一息つく。
季節によって背景が緑色に輝いたり、茶色の枯れ葉が舞ったり、時には雪に覆われたりして、様々な表情を見せてくれるのだ。
それでいて全く目立たない。このまま苔に覆われて忘れ去られて行くのかな、とそんな想像をしてしまう(イメージはなんとなくラピュタ)。
このお堂、元をたどると1914年にこの地で行われたバルチック博覧会の遺物である。
バルチック博覧会は、バルチックという名の通り、バルト海沿岸に位置するデンマーク、スウェーデン、ドイツ、ロシアの4カ国が参加した大きな催しで、当時の各国の最先端技術や芸術をお披露目する場となった。
途中第一次大戦勃発のためドイツとロシアの出展者が撤収してしまったが、期間中のべ100万人近くもの人が訪れたそうである。
(ちなみにマルメ市の1900年の人口はわずか7万人。Wikipediaより)
隣国デンマークからの訪問者たちも多かったに違いない。デンマークの国王夫妻が船に乗ってやって来た映像も残っている。
写真や動画が多く残っており、そこから当時の華やかさをうかがい知ることができる。
博覧会終了後、展示パビリオンは一部を除きすべて解体され、当初の計画通り跡地が公園として使われることになった。それが今のピルダム公園である。ちなみにピルは柳、ダムは貯水池、の意味(日本風にいうと「柳ケ池公園」みたいなものか)。池の岸を補強するために柳の木が植えられたことからそのように呼ばれている。
古い写真の中には私のお気に入りのお堂の写真も。
お堂の名前はEkotempel(エコ・テンプル)。
これはイギリス式庭園などで使われる建物の一般名称だそうだ。「あずま屋」とか「パビリオン」というのと同じですね。
テンプルと名前がついているので最初お祈りのためなどに使われたりしたのかなと思ったが違うようだ。エコというのはエコロジーではなくエコーのこと。ドーム状の天井で音がエコーするため、だそうです。
意味を調べるとなーんだ、と思ってしまうが、名前だけ聞くとちょっとミステリアスな響きがあって良いなと思ってしまうのは私だけだろうか。
博覧会が終わり、跡地が公園へと生まれ変わった後もこのテンプルだけはその場に残された。
それはなぜか。
… 重かったから。
石のお堂が重くて移動させられなかったのだ。すごいオチ。
今まで思い描いてきたミステリアスなイメージが…(笑)。
と、冗談はさておき(重かったから、というのは本当です)、それでもなおわたしの贔屓であることには変わらない。
昔の画像を見ながら、このエコ・テンプル脇を通り過ぎていったお洒落な紳士淑女たち、はしゃぐ子どもたちはもうこの世にはいないんだな、なんて思うとすごく不思議な感覚に襲われる。
今木が生い茂っているところにはかつて噴水があって、両脇には長い回廊がずーっと続いて、、、と公園を歩きながらしばしタイムスリップしてみる。
重くて移動できなかったお陰で当時そのままの場所に残されたこのお堂は、通り過ぎていった人々の思い出と一緒にそこに留まっているような気がするのだ。
オマケ
意図的に、当時のまま残された場所がある。
Margaretapaviljon(マルガレータ・パヴィリオン)とそこに続く花壇の通路である。これは博覧会当時のスウェーデン王太子妃マルガレータが設計に関わったと言われる一角で、庭園全般に大きなご興味があったマルガレータ妃は、当時花壇にどの植物を植えるかまでご自身で選ばれたそうだ。
※古い写真はhttps://kringla.nu/kringla/より。
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