脳の情報についての勝手な想像(忘れることへの言い訳)
多国籍な街に住んでいる。スウェーデンでも恐らく外国人の割合が最も多い街の1つではないかと思う。市内に確か170カ国以上の国の人たちが住んでいるというから世界地図が埋まりそうなぐらいだ。
隣りのデンマーク、ノルウェーに加え、ヨーロッパの様々な国、そして中東出身の人も多く居て、日常的に聞こえてくる言葉もさまざまである。
先日マッサージサロンにやって来たお客さんはフランス人で、フランス語と英語を少ししか話さなかった。これまでフランス語は習ったこともなく、思いつくのは「メルシー」とか「ボンジュール」ぐらいだから、大分困ってしまったけど何とかなった。
旧ユーゴ出身で母国語とドイツ語しか話さないお客さんもいる。ご本人は別の国に住んでいるのだけれど、年に何度かスウェーデンに住む娘さんを訪ねてきていて、その度に施術を受けに来てくれる。
ドイツ語はちょっとだけ習ったけれど、すらすらとコミュニケーションできるレベルではない。記憶の奥底に眠っている単語を探して探してやっと見つかった時にはもうその話題は終わっている、という始末。
とは言え、知っているだけの単語を並べ、ジェスチャー交じりでコミュニケーションするのは結構楽しかったりする。
そんなことで、日常的にかなり色々な言語に遭遇するし、実際に使う機会も多くある。
仕事したり買い物したりという日々の生活で使っている言葉はスウェーデン語だが、夫がデンマーク人であるため家の中ではデンマーク語を使っている。お客さんの中には英語しか話さない人もいるので、その時は英語で話す。日本人の友人知人にはもちろん日本語。
割合から言うと、スウェーデン語4割、デンマーク語4割、英語1割、日本語1割、ぐらいだろうか。
そうするとどうなるかというと、頭が混乱する。
スウェーデン語とデンマーク語は似ているので、スウェーデン語を話す職場にいる時に夫と電話すると両方の単語が混じったりイントネーションがおかしなことになったりする。英語もしかり。英語をしゃべっているつもりなのにスウェーデン語の単語が出てきてしまったり、簡単な言い回しをすっかり忘れてしまったり、ということが起こる。周波数が合ってないラジオみたいだ。
久しぶりに日本人の友達と話すと日本語が出てこないこともある。さすがにスウェーデン語交じりの日本語になったりはしないが、使いたい単語がすらっと出てこないことがある。これは非常にもどかしいし、やばい、とも思う(苦笑)。
でもそれもしばらく話をしているうちに感覚が戻って来て、普通に会話できるようになるから不思議だ。
もしかするとこれは年のせいで、子供だと頭が柔軟なのでそうはならないのかもしれない。年を取って物忘れしたりするのもこの延長上かもしれない。
頭の中の構造はちっとも分からないが、勝手に想像してみると:
脳の中にはたくさんの記憶の箱みたいなものがあって、新しいことを覚えるとその箱がどんどん増えていく。「私」とその箱は、コードの様な物(あるいはWifi?)で繋がっていて、必要な時にそこにある情報を取り出せるようになっている。関連のある事柄だと箱と箱の間にも繋がりができていて、その両方の箱に同時から情報が得られるようになっている。
毎日使う情報は高速で手に入るようになっていて、使う頻度が高ければ高いほど、瞬時に情報が送られてくる。
ところが、その箱に長いことアクセスしていないと、コード(Wifi)の機能が劣化してくる。例えば大学受験で覚えた山ほどの英単語が入った箱。何十年も使っていないのでコードもさび付いている。受信ボタンを押しても全然届かない。届いたとしてもやたら速度が遅い。そこをなんとかメンテナンスして、繋がっている他の箱のコードもチェックして調整してみると、劣化したコードが自然とアップデートされ、また元通りに情報へとアクセスできるようになる。
また、疲れている時やいらいらしている時などにも、このコードの働きは鈍り、言葉に関して言うと、日本語しか出てこなくなったりする。
言葉に限らず、覚えたもの、習ったもの、色んな記憶は消えないで脳の中のどこかの箱に仕舞ってある。その記憶が呼び起せない、情報に上手くアクセスできないのは、アクセスするための手段(コード、Wifi)が上手く機能していないからである。
、、、と自分を納得させている。
どうしても何かが思い出せない時に、「いやいや、記憶はそこにある。アクセスできないだけなんだ。コードをメンテすれば全ての記憶にアクセスできる!」と念じ、年のせいかも、とか思ってないで、「コード」をアップッデートすることにフォーカスしてみると、意外とうまく思い出せたりするかも、、、?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?