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雑記01|図書館にいて老人を見ていた話

今日は調べものに使いたい事典があったので図書館に行ったのだけれども、そこで多くの老人たちを見た。
調べものに疲れた私は、ぼんやりと行き交う老人たちを見ていたのだけれども、ふと、彼らのようになりたいものだという考えが浮かんだ。
なぜそう思ったのだろうか。
それはどういう意味なのだろうか。

老後は彼らの様に図書館に籠って、永遠に続くかのような時間をゆったりと本を読んで過ごしたいということだろうか。
確かにそんな望みもある。
彼らの様に、生活の心配などなく(心中を悟れるわけではないので本当のところは分からないけれども)本などを読んで過ごせる老後とはなんと幸せなことだろうか。
だけれども、私はまだ彼らの歩んだような重厚な時をまだ歩んでいない。
老人を見るとき、私は、これから先自分の前にある長い時間を垣間見て、気が遠くなるような思いがすることがある。
私と老人の距離はとても遠い。
だからきっと、そういうことではないのだ。

多分、私は、何かの目的に駆り立てられるのではなくただ読みたいという理由だけで本を読めていることが羨ましかったのだろう。
私は今日の調べものを糧に、未来で成し遂げたいことがある。
対して老人たちは、恐らく未来のために本を読んでいるわけではないのだろう。
今現在を充足するために彼らは図書館に足を運び、本を読んでいる。
未来を考えなくていいのは、未来が不安定で不確定ではないからだと思う。
それは確かに羨ましいと感じることでもあるけれども、きっとそれだけではないのだろう(あるいはそう思ってしまうのはリスクを取るよう煽る現代社会に酔ってしまっているからかもしれないけれども)。
私には夢があるけれどもそれは、未来が不確定だから見られるものだ。
老人たちはこれからどれだけ勉強したとしても、ほとんどの場合にそれが彼らの未来を変えることはない。
ただ、時間に溶けるようにしてこの世を去るその時まで安定したゆっくりとした時を過ごすほかにないのである。
それは悪い事ではないのだけれども、やはり若い私はまだ何かを成し遂げてみたいのだ。

そんなことを考えている間に、ちょうど時間も経ったので、私は老人たちから目を離して調べものを再開した。

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