泣けてくる
家を出て4年。
当初は、自分の内側も外側も大混乱で、自分はどうしたいのか、どっちを向いているのか、そもそも今どこにいるのか、なにもわからなかった。わかりたくない、という気持ちもあったと思う。
何か片付ければなにか見えるのか、探してるものなんて実はなにもないかもしれない、そんな怖れにすくみながら、すこしずつ体を、心を動かし始めるのに半年かかった。
人に紹介されたカウンセラーとの出会いが、長く続いた苦しい混乱を鎮めるきっかけになってくれた。
さいしょは疑心暗鬼だった。どうせまたという決めつけや、私なんてという諦めを隠し持っていた私に、その人は「そういうのも残さず全部どうぞ正直に」と文字通り24時間(LINEで)向き合ってくれた。
生まれて初めて“なにを言っても大丈夫”な人を手に入れて、私はすこしずつ自分のことを受け入れられるようになっていった。
その安心感を元に、いろんな場所へ学びに行き、体験しに行って、本を読み、動画やオンライン講座にも、惹かれたもの、気になったものに、手当たり次第手を伸ばして行った。幼い子どもが、親を振り返りながら、あちこち触って回るように。
こんなものが何になる?と自分で思いもしたし、これからどうするの?と人には心配されたり、呆れられもした。
けど。
それらが、思わぬところですこしずつつながり始めた。
そして3年近く経った頃、どこからか何かが湧いてきて、それがすこしずつ確かなものになってきた。
もうおしまいにしよう。
もちろん100%の気持ちじゃない。
経済的な不安、この年齢で全くの独りになるという不安、もう面倒に関わりたくない、信じられない人間のリスクまで背負うのはイヤ…打算も、自己都合もいっぱい混じっている。
でも、そうしたい、そうする、と思ったのだ。
結果は、案ずるよりも産むが易し、だった。
ようやく固まった気持ちを、相手は意外なくらいすんなりと受け入れてくれた。
自ら望んだものが手に入る。大きな不安、リスクからの解放、心の平安、眼前の不快の解消。
それなのに。
泣けてきた。泣けて、泣けて涙が止まらなくなった。
この天邪鬼が、とツッコむ私がいる。だよね、お金ちょっと惜しいよね、と追従する私もいる。けど、それとは関係なくあとからあとから泣けてくる。
いやいや、私が決めたんでしょーが、と笑ってしまう。でも、やっぱり涙がにじむ。
一日経ったのに、また泣いてしまう。
なんやねん。なんでやねん。