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日記⑬(2020.04.29)

 父親に連れられて、川沿いを散歩していた。久々の外出ですぐに疲れて、三十分ほどでベンチに座り込んだ。舗装された道では幾人ともすれ違い、右から左から人が前を通っていった。

 なんのことはない、おばあちゃんと孫と思しき二人が、右からやってきて、懐かしいような会話をしながら前を通った。十分に休まったからそろそろ立とうという雰囲気があった。ボーダーの長袖シャツのみという薄着が目を引き、過ぎていった二人を目が追う。

 おばあちゃんの肩には、やさしさがのっている。そんなフレーズが過ぎり、慌ててそれを飛ばした。ちがう、そんなひと言で表せるものではなかった。断定や言い切りは常に危険をはらむことは知っていた。それは批判されやすいだけでなく、視野を狭くするからだった。

 おばあちゃんの肩に乗っているのは、もちろんやさしさだけではない。そもそもぼくは、そのおばあちゃんではなくおばあちゃんという概念しか見ていなかった。そして知ったように描写をする。危険だ。

 曖昧にしてボカすというと聞こえは悪いが、そもそも言葉には限界がある。言い表せないものを、上手くやろうなんていうのは間違っているし、冒涜ですらある。だから、書いたことしか書けないのではダメで、書いていないことを書けるのが大事なんだと思う。俗に言う行間。もちろんそれだけではないけれど。

 言語化は間違いなく抽出だ。それをどうやって全体を保つか、これから考えていく。

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鱒子 哉
今まで一度も頂いたことがありません。それほどのものではないということでしょう。それだけに、パイオニアというのは偉大です。