見出し画像

「ベッドルームにて毎晩蝶が飛び立つ」振り返り

参加していたグループ展で2023年6月、7月に計4回パフォーマンスを行った。
踊りをやっていく上で、とにかく強烈な身体を、と思いつつも、一瞬にしてそれを捨て去ってしまいたい欲求を持っている。
紆余曲折を経て今でこそ身体は、踊りは素晴らしいと思っているが、同時にこれに果たして何の意味があるのかと大変冷たい目をすることもある。
日常生活でも、資本や行政の力、テクノロジーの力で成り立つ街で不自由なく暮らしつつ、何かとても奇妙なことを我々はしているのではないか、と思うことがある。
この作品ではそういった両方の境界を飛び越えて、一方から見ると危ない方向に身体や心を投げ出してみては、またもう一方に戻してみるということを試みていた。

部屋がモチーフの展示空間で、まるでこの世のものではない存在と、突然お客さん(久しぶりに部屋に来た友達みたいな)をもてなそうとする日常的な存在。

夜の海辺、暗い海を目前にして、危険だと知りながら、なぜかそこに入っていこうとする力に身体を預けてみたいものだ

写真:佐藤元紀

■展示
インサイド慈しみの会
-私は私の部屋が突然襲います-

⁡赤羽由衣
佐藤元紀
Jay Hirano
kenta masukawa
堀内恵

⁡お気に入りの壁紙、ソファ、食器、観葉植物は私の皮膚の延長でもあり、私を守るでも繭でもある
部屋に帰ると安心する
部屋に人を呼ぶと嬉しい。でも少し疲れる
呼んだ人が帰ると、また安心する
ある匿名の部屋で、ある作家達が
繭を着込むような
または繭の下の暗いものを暴くような
展示会をひらく

展示期間
2023.6/23(金)~ 7/17(月)

■パフォーマンス
「ベッドルームにて毎晩蝶が飛び立つ」

子供の頃の一番最初の記憶は、夕方目が覚め、居間へ向かうところから始まる。あの日の夕方に目覚める前の記憶は一切なく、何をしていたのか、何を考えていたのか思い出すことは出来ない。まるで、産まれてからその日目覚めるまで、ずっと眠っていたかのような感覚だ。
大人になってからは、朝目覚めると、今日は昨日から連続して続いている日だということが実感として持てないことがある。眠っている間に意識はシャットダウンされ、起きると文字通り生まれ変わったような気分になる。
古来より、様々な時代や地域で眠りと死は関連づけられる。ギリシア神話においては、眠りの神ヒュプノスの兄弟 は死を意味する神タナトスであり、人の死も、ヒュプノスが与える最後の眠りであるとされている。 古事記や日本神話における死者世界である根の国の根は、寝るの寝と繋がっているとされている。根の国を訪れたオホナムチが度々眠る描写がある。
⺠俗学者の折口信夫は、古代の日本人にとって生死の境は曖昧だったという。人間とは魂が肉体に一時的に宿ったもので、魂はしょっちゅう肉体を離れ死んだような状態になると考えられていた。魂があまりにも⻑い間肉体を離れて、戻らないと考えられた時、その人は死んだと理解された。
毎晩眠るとき意識は無くなり、何も考えられず、身体感覚も無くなり、そこに居るという実感さえも無くなる。まるで、毎晩私たちはベッドルームで神秘的に小さな死を体験しているようだ。
私が眠ると、意識や身体は機能を停止して沈んでいく。一方で、昼間は肉体に縛られ、慣習や意識に拘束されていた“魂”のようなものは蝶のように飛び立っていく。

自由に、私の代わりにリビングルームでくつろぐ。

2023年6月30日、7月1日、7月2日、7月14日

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?