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ここでようやく新たな茶道の師匠と出会うことができた

12時、茶道稽古。11年間師事した松田先生が長野県の田舎に引っ越しされて社中を閉鎖してから約2年ほど師匠をもたない暮らしをしていたのだけれど、ここでようやく新たな茶道の師匠と出会うことができた。新しい先生は永井先生と言って、地元の茶会などで何度かお会いしたことがあったのだけれど、これまでお話をしたことはない。先日たまたまお会いした時に、今度お稽古に行ってもいいですかと聞いてみたら、是非来なさいの温かい言葉をかけていただき見学に行ったのだけれど、それがご縁で入門させていただくことになったというわけである。僕は今年で49歳になる。師匠という存在にこの年で出会うことができるのかなあと半ば諦めていたようなところもあるのだが、でもこうしてご縁が繋がったことに本当に感謝したい。

茶道の師匠というのはどんな存在なのだろうか?という質問をされることがある。茶道はお点前を習得するというのが主なのだけれど、実は僕の場合お点前を習得すること自体についてはすごく熱心に取り組んでいるかと言われるとそうでもない。では一体何のために社中に入門して稽古に行くのかといえば、先生と一緒の空間に身を置いて、点前の箇所箇所の間違いを指摘されている時間に感じるある感覚がとても大切なものだと思うからである。その感覚というのは、何となく大人になると忘れてしまうもの、例えば嫌いな正座をして点前が終わるまで待っている時に感じることとか、例えば「姿勢をよくしなさい」「指を卵型にした方が綺麗に見えるわよ」「なんか動きが早すぎであなたの頭にはリズムが流れているの」とか・・・こんな指摘をされた時に感じる感覚、うまく言葉ではいえないけれど、こうあるべきということをピシャリと言われた時に感じる心地よさのようなものだ。厳しくされて心地よい?これは不思議に思うかもしれないけれど、分かっていただける人にはわかるだろう。今日の稽古は茶箱卯ノ花点前であった。中学2年生の兄弟子に助けられながら何とか最後までたどり着くことができた。

終了後、京都の粟田焼きの安田さん、茶碗の絵付け講習会に参加。苫屋を描いてみたものの果たしてどうなることやら。自作の絵付け茶碗は全て普段使いの飯茶碗になっている。初めて茶道で使いたくなるようなものになるかどうか、出来上がりが楽しみである。

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