大久保青志を断固粉砕する市民の会
大久保さんという先輩がいる。不遇な事件によってサラリーマン人生が終わった私には大久保さんが今でも唯一の先輩だ。フリーランスとなった私に何のわだかまりもなく声を掛けてくれたのは本当にこの大久保さん、ただ一人だけだ。
声を掛けると言っても、特に仕事や健康を案ずるでも気遣うでもなく、私のマンション前の開発問題に時々情報提供してくれて、実際に現場を見に来てくれたこともあるくらいのことだったけれども、彼は元東京都議員で情報通だから、そうした知識は有益だったし、それでいて何の見返りも求めてこないので、その距離感が私にはありがたかった。あの人こそ立派な人格者と言える。
5年前の春、私はマンションの問題を口実に色々と数十年もお世話になっておきながら、大久保さんご本人には改まってのお礼をしていないことに気がついて、五反田のおでん屋にお誘いした。20代の頃にはそれこそ数えきれないくらいご一緒させてもらったものだが、しかし全部割り勘だったから今回こそは私から自発的に接待申し上げるのだと、マインドがほんの少し上がっていた。
特に話し合わねばならないこともないので近況を報告しあっているうちに、大久保さんは自伝を出すという話をし始めたので驚いた。
「もしかして大久保さん、今日、草稿をお持ちなんすか?」
「一応持ってきたんだけど、どうも自分ではなかなか進まないもんだね」
「いや、そりゃそうでしょう。自伝を自分で書いてどうするんですか。自伝こそは他人に書いてもらわないと恥ずかしくて事実も書けないもんですよ。ちょっとそれみせてください」
大久保さんからてらいもなく差し出されたその「第一章」を拝読し、私は人智を超えた才能の無さに絶望した。幼稚園とか初恋とか通学路とか部活とか、要らんことばっか書いている。じいさんの懐古趣味でしかない。
思えば大久保さんは、元都議会議員かつ元出版社社員でありながら、少なくとも私の在職中は「字が書けない」ことで有名であった。同僚社員の引っ越しの際に大量のアナログレコード盤を分類する際スリー・ディグリーズをSの欄に仕分けしたのは有名な話だ。だがこれはまだ民間伝承の類であり、本当かどうか、本当っぽいけれど疑わしい。しかし目の前の「第一章」は何かの勘違いとかそういうことじゃない、受け入れなければいけない事実だ。
営業と称して外出しまくっていたあの時代、人付き合いのいい大久保さんはレコード会社から何かを頼まれるとプレゼントコーナーの片隅に「このアーティストの情報はさらにこちらへ」との追記を忘れなかった。ところがそれが汚い字でことごとく「こちらえ」と原稿用紙に実際に書いてあった。当時校了の担当だった私は何かの悪意とかやらせとか、そんなことは考えずただ毎月直していった。
その現物が目の前にまた出てきた。
それで、やらせてくださいと申し出ざるを得なかった。いや、実際無償でもやらせてほしいと思った。このまま本にされてしまったら、大久保さんも日本も大変なことになる。
まず、大久保さんの本を出そうと考えている出版社社長にやんわりと打診するところから始まった。実際にこれで全国流通させる考えがあるのかどうなのか。つまり、売るおつもりか?だとすると大久保さん自伝の勝算をどう考えているのかなどが第一番。サポートでもプロを起用するとなればそのプライドへの報酬は必要だろうから、そのあたりの目算や費用などもそれとなく聞かなければならない。私はマシーン鈴木というインタヴュー起こしの日本一人間を知っており(というか、突然言われても分かりませんが、後述します)、彼に協力を頼めばいいものが出来る確信があったから、その支払いも必要。ところがこの時はまだ大久保さん自費によっての「自己出版」であって、既に数十万もの金を支払い済みであることは、双方から知らされてもいなかったのだった。
こうして大久保さん徹底取材は五反田ジョナサンを舞台に合計8回37時間にも及んだ。それらを全部起こして整頓し、次回質問の方向性を練るのにはその何倍もの時間と労力が必要だった。ようやく形が見えてきた段階で版元の社長が急死。私は新たな版元を訪ねて、一からプレゼンを始めた。もともとは自費の自伝だったものを全国販売するとなると、本のテーマや構造を根底から変換して、読者への問題意識と新しいメッセージを書き込む必要がある。もはや五反田ジョナサンでまったりしている場合ではない。そうして当時の資料を徹底的に見直して、追加取材と討議の末、校了するまでに実に5年もかかってしまった。
新しい版元の担当編集者とは、とうとう最後には揉めた。編集の最終段階で時間が無くて、ヒートアップしていた我々は絶縁を示唆するメールをお互いに送りあったりもした。相当疲れた。
しかし一番助かったのはもちろん大久保さんだ。一人でしこしこと書かねばならない気の遠くなる作業をプロ数人が取り囲んで代行し、広く読者に訴えかける「商品」にまで持って行ったのだから。何と言っても当初より段違いに素晴らしい「作品」が出来たのだ。それでまた印税すら入って来るとなれば極楽ではないか。
それなのに我々がどれだけ揉めようとも、自分のことだというのに大久保さんの介入はついになかった。「まあまあ」とかとりなしてもくれないし、そこにいるのに存在を消してしまっていた。まさにカメレオン状態。あの人はそういう人だった。具合が悪くなると姿を消す。考えてみたら長い間お疲れ様でしたの締めの言葉もないぞ。ありがとうとも言われてないし、そういえば五反田ジョナサンが終わってからの飲みに誘われたことも一回もないな!交通費とか実費も少し掛かってんだけど、どっかいったな。慰労会もなければ、一円もくれね-。何が人格者だよ。
とここまで書いたら、さっき出版社から連絡があり「大久保さんが、印税についてはまず増井君の分を決めてくれれば従いますと言ってるんですが、どうします?」とのこと・・・。えっ?俺、印税をもらえんの?ギャラとかじゃなくて?うーん、なんかむかつきの気持ちが少し萎えてきたが、いいやもうこの原稿はこのまま発表しちゃえ。
これが当該書物だ。売れ残ったので3冊入れたわけではない。