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スーパーはぼきとスティーブ・ジョブズと、時々、オトン ~誰かをHappy にするDesignの話~
こんにちは。一生「自由に働く!」と決めた優子です。 私のいう自由とは、”自”分が理”由”で働くという意味です。やらされ仕事はできないと分かっただけです。
さて、私は「誰かをHappyにするDesign」をテーマにnoteを書いています。そこには、いくつか原体験があったので、今回はその話を書いておきたいと思います。
Happy Designの原点
私の父は、日本発の大手カメラ会社に勤めていました。トータルで13年間、アメリカに海外赴任をしており、その中で一番輝くシリコンバレーにもいました。(その間に姉と私が生まれたのですが)。
そんな父は、いつも世の中が便利になるアイディアを考えていました。80年代のことです。
「バスや電車に乗るときに、電子カードをピッとかざせば乗れるようになったら便利じゃない?」
「スーパーで買い物するとき、お客さんがバーコードを自分で読み取って、最後に会計だけすればスムーズだよね?」
「タクシーにカメラをつけて、遠隔運転や自動運転ができたらもっとタクシーを気軽に安全に使えるよね」
父は、何かを「便利にする」ことを考えるのが大好きでした。「こうしたら楽しい」「こうしたら便利」「きっと喜ばれるよね」——そんなことばかり話していました。そして、それが世に登場すると「俺が一番最初に考えたんだ!」と誇らしげに言っていました。もちろん、開発して商品化させたのは父ではありません。
幼心に思っていたことは、「アイディアを考える人はたくさんいるけれど、それを世に出すことは簡単じゃない」ということでした。頭の中にあるだけではダメで、形にできる人じゃないと意味がないんだよね、とどこか冷めた目で見ていました。スティーブ・ジョブズクラスじゃないとね。と。
そんな父は、スティーブ・ジョブズに会ったことがあり、自分のアイディアを話したことがあるそうです。すると「それ、いいね!やってみるといいよ!」と言われたらしく、とても嬉しそうにしていました。
そのアイディアが何だったのか、私は知ることないまま、父はこの世を去りました。父が亡くなった時、私はまだ13歳。今、娘が来年その年になると思うと、何とも言えない気持ちになります。「まだ子どもじゃないか……」。もっと、そんな父の夢やアイディアの話を聞いてみたかった。
スティーブ・ジョブズがアップルの創業者であることを知ったのも、父が亡くなった後でした。どうしてそんな人と会えたんだろう?やっぱり父はすごかったのかも。家族の写真の裏には、直筆のサインまであったりして!
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To 母、姉+Yuko(私)
I hope we can meet someday, and I wish that 姉+Yuko grow up with computers as your friends. Steve Jobs 4.21.87
私は会えなかったけど、MacとiPhoneは日常的に使っているよ♡父はあちらで再会できただろうか。
父が言っていたことのうち、私が覚えている(数少ないですが)アイディアはすべて実現しています。今の世を見せてあげたい。いや、きっと見てるよね。
スーパーはぼきの衝撃
そんな父の影響で「考える人だけではダメ。ジョブズ級にならないと世に生み出すことは難しい」と思っていた中学生時代、私に衝撃的な出来事がありました。
それは、「スーパーはぼき」の大ヒットです。
昭和の終わりごろ、大ヒットしたお掃除用具「スーパーはぼき」。何に衝撃を受けたかというと、主婦の発想から生まれた商品が、日本全国を席巻するほどのヒットを生んだという事実でした。
ジョブズじゃなくても、IT技術がなくても、誰かの困りごとや問題をアイディアで解決できれば、Happyを生むことができる。
当時は専業主婦が主流の時代。そんな時代に、主婦のアイディアがヒット商品になったことが、とても衝撃的でした。
ご存知ですか?スーパーはぼき
Happyを生むアイディアを
この出来事をきっかけに、私は「日々の困りごとを解決できる人になりたい」と思いました。そして、新卒の就職先として、住宅リフォームの営業・設計を選びました。今は業種は少し違いますが、基本的な姿勢は変わりません。
誰かをHappyにできるアイディアのタネを見つけ、それを形にすること。それができたら嬉しい——そんな想いを持ち続けています。
父の夢を、私のライフワークに
父が亡くなってから、もうずいぶん経ちました。数えたくないほどの年月が流れ、夫と過ごした時間のほうが、父と過ごした時間より長くなりました。それに気づいたとき、衝撃を受けました。
夢の国アメリカから日本に帰国した父は、新しいアイディアを出そうとしましたが、
「そんなもの、金にならない」
「前例がない」
と、当時の日本のビジネス環境に阻まれ、疲弊していたように思います。アメリカでワクワクしながら考えていた未来が、日本では受け入れられなかった。そんな父を見て、私は「誰かをHappyにするDesignの話を集めたり、考えたりすることを、(引き継いで?)やってみよう」と思いました。
そして、そんなタネがいつか形になり、誰かのHappyにつながったら——。たとえ私が知らなくても、どこかで誰かの役に立っていたら、嬉しいなとおもって。一番は自分のためなんですが。
そっと、発信し続ける
独りよがりで、勝手かもしれない。でも、そんな想いを込めて、文明の利器である発信ツールを活用し、世の中にそっとリリースしておきたいと思うのです。
読んでくださり、ありがとうございました。この文章を読んでくださったことだけで、ご縁を感じます。
今日も一日、Happyでありますように。
注)タイトルは、かの有名な松竹映画『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』とは何の関係もありません……。
いやーね、ほんとにすみません(笑)。 2007年公開の映画、名作ですが、もうこんなに時間が経ってしまったのですね。