自由になれた「気がした」と豊は言う。ADDress生活【DAY10】
諸事情、私にとってはすごく大きくてショックな諸事情があり3日泊まる予定だった日南を1日で出て都農に帰還した。
都農駅に着いたら家に着いたみたいな安心感があった。二度目の訪問なのにおかしい。ドミトリーに荷物を置くと自転車で道の駅まで走って、ナスと小さいピーマンときゅうりと大葉を買った。
道の駅のあとはトライフルという24時間営業のスーパーに寄って、豆腐や納豆を購入。私がいなくなったあと宿で使ってもらえたらとめんつゆも買った。私は自分のものを人に共有する精神が壊滅的に欠けているので進歩だ。
所有の線引きがあいまいな人たちへの憧れ
私は一番近い他者、恋人に対しては色んなものを共有するし贈るけれどそれ以外の人への自分の所有物をシェアするという考えがない。これは人への信頼と重なるところがある。
いいなと思う人たちは所有の概念がアバウトで、自分のものを平気で人に分ける。それは境界線のあいまいさとはまた違っていて、むしろ別個の存在であるがゆえの共有という感じがして、私は自分にないその寛大さを前にすると圧倒される。そう、私は自分にないもの、自分にないあたたかさを前にするといつだって圧倒されるのだ。(@_@)こういう顔をして突っ立っていることしかできない。
蜘蛛の巣に包まれながら夜のサイクリング
夜はインターン生の岡さんが近くの公園まで一緒に星を見に行ってくれた。自転車で夜道を走る。道路を走っているのに目に見えない蜘蛛の巣がいたるところにはられていて、足や手に引っ付く。「3ヶ月で蜘蛛の巣は慣れました」と少し前を走る岡さんが言う。斜面をのぼる。頭に手をやると「何か」がいるのを感じ、ゾワっとするがここでバタバタしてもどうしようもないので頭に「何か」をはっつけたままで夜道を走る。
公園に到着すると遠くの家の番犬が私たちの存在を感じたのか激しく吠えた。岡さんが少し離れたところにあったベンチを軽々と持ち上げて移動させてくれて、スピーカーで尾崎豊を流しながら空を眺める。
「自由になれた気がした」と豊は言う。「あ、気がしただけなんだ」と私は切なくなる。空には一面に星。「蠍座だ」「あれは木星かもしれない」と岡さんがスマホの星座アプリをかざしながら言う。
「神聖さ」の正体
帰り道はゆるい下坂で気持ちよく駆けぬける。都農神社の鳥居は昼間より夜のほうが大きく見えて、なんだか近づいてはいけないように思える。
神聖さとはなんだろうか。私はそこに費やされた人の時間だと思う。大きな橋やピラミッドもそうだけど、誰かの命の上にいまがあってその命の上を自分は歩いていることが伝わり何も言えなくなる。
神社は建てるときもだけど、そのあとの維持やそれを信じて生きてきた人たちが捧げて手段化した時間の積み上げを感じて、それが畏怖につながる。よくわからないもののためにときに命を投げ出せる人たちが私にはわからないし、わからさなさはこわいのだ。
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