息をしていても寿命は縮まってるんだから好きなことをしたほうが良い時代がもう目の前にきている(というかもうその時代だ
ぺこぱっぽく始まりましたが、すんごい一般論だし、すでにあらゆる人に語りつくされていることを書きます。
生まれた瞬間から寿命ってどんどん消耗されていくじゃないですか。
で、不慮の事故や突然の病気もある。急にコロナウィルスなんで街を封鎖しますわとか、思いがけなく乗っているヘリコプターが落下することもある。
刻一刻と近づく死と、突発的に通り過ぎていく死があることを皆理解していて、でもなんだかんだ自分は寿命を全うするだろうとか、まあまだ死にはしないだろうって思って生きている。というかそう思わないと生きられないメンタリティなのが人間っていう生物なのかもしれないけども。
「好きなことで、生きていく」というのは、2014年くらいにYouTuberを起用したGoogleさんの広告のキャッチコピー。それが出来れば最高だよなーって思っていた当時と、そこから5,6年経った現在、いやそれ以外ないだろって思っている今で何が変わったのか、その時から寿命も5,6年縮んできたので自分を紐解いていこうと思った。
変わったこと。大きく3つ。
仕事の方向性が定まった
2014年は、最初に会社を立ち上げて3年くらい経過しているタイミング。若かったし、元気もあったし、目の前の仕事を必死で取りに行くことで一日は毎日すんごい速さで終わっていった。
精神的になんかいつも疲れていたけど、その先にあるよくわからない未来をグリップするために頑張っていたと思う。
別に世界を変えたい、とか課題意識を持ってした起業でもないから、自分のまだ見ぬ将来を良くしたいという漠然とした考えくらいしかなかった。
仕事もいろんなことをやった気がする。PRの仕事、イベントの仕事、CMの仕事、WEBサイトを作る仕事、アプリを作る仕事、テキーラを飲まされながらシャツの胸ポケットをなぜか破られるような仕事、来日するマドンナにプレゼントする商品を作る仕事、全国のゴルフ場の情報を入力する仕事、やれることはなんだってやった気がする。
報酬がそれで発生するからだ。
やらなければ自分も一緒にやっている経営者も、社員も食いっぱぐれてしまうから、そのくらい必死で色々なことをやっていた。
それを繰り返す中で、何か軸になる仕事がないといつまでもやってたら死んでしまう、と寿命を意識して常に思っていたと思う。結局、その年の年末くらいから立ち上げた役漫(マンガの電子書籍の取次事業)が自分たちには合っていたようで、今につながっている。
仕事の方向性、言い換えると”自分が多くの時間を投入し、対価を得るものの方向性”が定まって、そうすることによって一気にブレがなくなって、その余裕のおかげで視野が広げられるようになったんだろうな、と思っている。
第三者に期待しなくなった
第三者に期待しないという勇気は、大きく自分を変えてくれたと思う。それが良い意味でなのか悪い意味でなのかは一旦さて置いて、メンタル的に圧倒的に強く、そして冷たくなってしまったな、と。
第三者に期待する、というのは仕事上普通のことだ。だって売上にしろ原価にしろ、どっちも第三者あってのこと。さらに言えば第三者の先の第三者がいるからこそ仕事が発生しているわけで、それを操作しようと思って広告や購買という活動が行われる。
でもそれって結構性善説じゃないですか。景気が悪くなれば購買行動も広告活動も制限されるし、冒頭書いたみたいにコロナウィルスが流行れば行動すら制限される可能性がある中で、”常に仕事が安定して発生する”なんてことはあり得ない。
ましては代理店作業の、かつ小さいな会社の僕らに回ってくる仕事なんて、いの一番にカットされる対象なわけで。
そういったボラティリティのある仕事をする中で大事だったのは、全力投球とフルスイングを、どのフェーズでもやる、やりきる、ということで、それを繰り返していると第三者に期待しなくなるんですよね。
期待するのは自分のパフォーマンスだけ、自分の能力に自信を持って第三者と関わっていく、ということだけに集中。そうすると、あ、今、野に放たれてもまあ生きて行けるなー、というメンタルになってくる。
人間って不安な生き物なので、仕事先や同僚、部下や友達に期待を持ちがちなんだけど、頼る前提の性善説で生きてしまうとどんどん自分の能力が錆びていくと思う。とはいえ性悪説で、とは思わないし、ずる賢く生きるべきとも全く思わない。どちらかというと野性的で、牙を磨き続ける覚悟と実行力を持って生きるべきだ、と思っている。そうしないとズルズルと楽なほう楽なほうに行ってしまう。人間は村社会で生きてきているし、自信を持って生きている人ばかりではないから、だ。
そういう意味で、第三者に期待せずに生きていくことが出来る能力、仕事で言えば稼ぐ力・社員を養う力・勇気をもって決断する判断力というのは、世の中の多くの業を起こしている人には持っていて欲しいなと切に思う。そりゃもう期待とかではなく、持ってろよ、くらいの感じで。
欲望が明確になった
欲望が明確になる、というと、やりたいことやりたくないことがはっきりしてきたということは大きい。例えば、ハマっているものをやっているときは常にそれをやって良いと思うし、それがハマらなくなった(飽きた)なら辞めれば良いし、それを繰り返して寿命を全うしようと思うようになった、っていうことに尽きる。
例えば、6年前くらいに麻雀を始めて、3年前くらいにゴルフを始めて、2年前くらいにフォートナイトを始めた。
それぞれ狂ったように没頭してやったけど、麻雀は今でも好きだけどやる頻度は環境の変化で下がってしまった、ゴルフはそんなに好きじゃないから出来ればもうそんなに行きたくない、フォートナイトはいまだにオンラインで友達とやるのは好き、ってな感じで濃淡がそれぞれある。
タイミングタイミングで人間の好奇心やエネルギー、それは外部環境によっても変わる。そうなのであれば、そのタイミングで没頭できるものに没頭していくのが良い。欲望に素直になるのが良い。
仕事も一緒だ、今は飲食に興味がある人がいるとして、それを一生やる必要ない。飲食に興味無くなってきたなーと思ってもサンクコストを考えてしまって次のステップに行けない、とか、本当は別のことやりたいのにできない、っていうのは心身にとって良いことではない。
これは持論だけど、行動するときのエネルギーと脳のエネルギーは密接につながっていて、そのどちらかにズレが発生すると人間は体調を崩してしまう。うつ病になっちゃう人もいるだろうし、病気になってしまう人もいる。
車が向かっている方向と逆を向いていると酔ってしまうというのと一緒だ。行きたい方向と別方向に向かってしまうとストレスがたまるのが人間なんだ、多分。
だから、自分の欲望を早く見つけてあげるのが良いと思う。そして、その欲望について永続性のあるものなのか、今だけの刹那的なものなのかをしっかり常に自分を監視してあげると良い。コロコロ変わるのが人間、そこを前提にして、自分で自分を満足させていかなければ寿命なんてあっという間に来てしまう。死ぬ間際に、俺なにやってたんだろうって思いながら死ぬのだけは避けたい。
まとめ
まとめるほどのことはないんだけど、まとめると、人生の多くの時間を使う仕事はちゃんと欲望を見据えてやろう、やるなら全力で、誰かに期待することなく牙を磨こう、今後も改めて頑張ろうと思った、という感じだ。
※写真は投資先でマネジメントしているフォートナイトのチームVANCのユニフォームが届いたので浮かれて着ているだけの写真です。