ちょうどいいが、ほしいの。
仕事終わりに駅にあるカフェでパスタを食べていると、
2つ隣の席に座っている
女性2人のおしゃべりが聞こえてくる。
「一緒に決めよう系男子ってありえない」
「うんうん、なんでもいいけど決めてほしいよねー」
世の男性しょくんよ、聞いたか?
女性には「一緒に考えようよ」と言うんじゃなくて、
計画を立てて、こちらから提案をするのだ。
相手に決めてもらおうっていう
望みを捨てるのはもちろん、
相手に考える隙間も与えてはいかんぞ。
と思ったら、すかさず
「でも、(旅の)しおり作る系女子ってどう思う?」
「ガチガチに計画されるのいやだよねー」
世の女性しょくんよ、聞いたか?
旅のしおりをみんなのために作っても、
スケジュールに余白をもうけなくちゃいけない。
計画なんて、あってないようなものだ。
彼女たちは、ボール遊びのようにこの会話をしてるし、
ぼくも、遊びのように、この文章を書いているので、
世の「一緒に決めよう系男子」の皆さま、
世の「しおり作る系女子」の皆さま、
どうか、お気になさらず。
ぼくは、相手に選択肢を与える男性もいいと思うし、
旅でみんなをリードするする女性もすてきだと思う。
彼女たちの言いたいことは、
きっと、「ちょうどいいが、ほしいの」ということ。
さんまさんの「都合のいい女性が好き」と同じだ。
で、「ちょうどいい」って、むづかしい。
計画しないのはダメ、計画しすぎはダメ。
彼女たちが求めるのは、その間でしかない。
彼女たちの顔色を見ながら「ちょうどいい」を演じたところで
その関係は続かないだろうし、きっとボロがでる。
それに、人によって「ちょうどいい」は、変わってくる。
ゆっくり歩くのが好きな人もいれば、早足派もいる。
あっついお湯が好きな人もいれば、ぬるま湯派もいる。
だから、ちょうどいい友達がいるっているのは、すごいこと。
お互いがちょうどいいなあと思える友達に出会うことができたら
それは小さな奇跡と思っていいと思う。
「ちょうどいい」って、そんなにないのだから。
友達の「ちょうどいい」は、「居心地がいい」にも訳せる。
それでは、今日も、明日も、明後日も、いい1日を。
無意識でも居心地がいいのが、ちょうどいい友達だ。