
竹のように節を作ったので、竹のように伸びるのさ!
今、僕の中でメインにしている本の内容は、ちょうど2年前の4月頃にウィーンに滞在していたときにインスピレーションがきたものです。
その時は、もう衝撃で自分の天才性に恐怖さえ抱き、大聖堂「おお神よ、あなたはなぜ私のような天才をお作りになったのですか?」祈ったくらいでした。
それで帰ってきて、編集者にこのアイデアをいうと、「それは凄い、ぜひやりましょう」ということで、執筆に入ったけれど、それからが大変でした。
いっこうに執筆が進まない。
強引に進ませると、頭で書いてしまって、文章が死んでしまう。
まえがきと1章なんかは、何十回書き直したかわからない。
出口のないトンネルはないというけれど、これトンネルではなくて、地下深くに潜る穴じゃないかと疑うようになりました。そうなってくると、そもそも、自分は天才なんかじゃないなと思うようになり、こんなに書けないのはもう凡人以下だと卑下して、どんどん鬱々になったりしました。
また、環境が悪いと思って、南の島に逃げたり、人のせいにもたくさんしたし、いろいろな仕事キャンセルもしました。
そもそも、この作品が悪いんじゃないかと思うようになり、ささっとやめて、またちがうものを企画立てればいいじゃないかと何度も思うのだけど、なぜか諦めきれないのです。
完成したら多くの人を幸福に出来るはず、という気持ちが心の奥から湧き上がってきて踏みとどまらされるのです。
そして、もう少し頑張ろうと取り組むと、小さな気づきが与えられて少しだけ進む、その繰り返しでした。
でも、転機は、今年はじめに訪れました。
なぜ、この本が、多くの人を幸福にするだけの力を持つことになるのかという核のところがわかったのです。
そして、振り返ってみると、この期間はインスピレーションを受けてから、心の深いところまで落とすのに必要な熟成期間だったこともわかりました。
竹でいうところのあの硬い「節」づくりしていたんだと、ようやく思えるようになってきました。竹があんなに伸びても折れないのは節があるからなんだと、伸びるときは気分がいいだろうけど、節作るときは地味だけど、すごいエネルギーを集中させているのがわかります。
自分も、節づくり完了かなと思うようになりました。
で、あるならば、ここから竹のように、ぐわ〜んと伸びることを期待できそうです。
楽しみ。