戦争で爆弾が空から落ちてくる時
1980年代中期に当時の西ドイツは反核運動が活発になって、若者を中心にした動きが遠くの日本にも伝わってきた。
東ドイツと国境を接する西ドイツ。東はソビエトの支配により中距離核ミサイルが配備されて、対する西側のNATO軍もそれに対抗してミサイルを配備。国境を境にして頭上を核ミサイルが東西を行き交う現実が誰にでも想像できる状態となった。
止むに止まれむ思いにとらわれ、すぐに動けたのはしがらみの少ない若者だったのだが、この思いはすぐに西側のフランス、イギリスなどに波及し、一挙に反戦と反核の主張がメディアにあふれ出した。
「99」という全米チャートでもヒットしたポピュラーミュージックは西ドイツのネーナというグループのものであったが、国際対立が戦争に帰結するこを心配しなくてはいけない現状を憂い冷笑している内容だ。
その数年あとすぐに、チェルノブイリ原発事故があり、反核運動は環境保全運動と一体化していった。東西冷戦が終結し、アメリカの核戦争までの時計は大幅に長くなりもうこれで核戦争の心配はなくなったと言ってもよい状態になった。ほんのひと時だったことはすぐにわかった。
ソビエトの核保有規模はロシアに引き継がれ、なくなることはなかった。超大国が一つ消えたことで、かえって核開発が世界に広がってしまった。パキスタンはインドに対したの抑止力のために核実験を成功、北朝鮮も核実験はもちろん、核攻撃に必要な兵器開発も進めている。イランでも核開発に歯止めがかからず、未だにアメリカと安定的な関係を構築できていない。
非公式にイスラエルは核を持っていると言われていたがこれも公式になってしまった。
ハリウッド映画は盛んにロシアの核が流出してテロリストに渡り、対アメリカ、対人類に使用が計画され、それを阻止するアメリカの組織、という構造の物語を世界中にみせてきた。ミッションインポッシブルシリーズはその良い例である。
戦争はなくならず、東ヨーロッパのセルビアやコソボ、中近東パレスチナ、イラク、中央アジアのアフガニスタン、空爆は止むことがない。核の使用がなかったことは幸運だったのかもしれないと今のこの瞬間思うのである。それでは何も変わらない、1980年代と、それどころか今日のウクライナ戦争では問題がさらに複雑化している。
少なくともプーチンみたいな独裁者はいなかった。北朝鮮は核をもっていなかった。アメリカはもっと余裕があった。なにより今みたいに世界はフラットになっていなかった。
つまり、40年前より世界は暗くて、戦争がなくなることを本当にあきらめなくてはならないのだ、とわかった。
一体、進歩というのはなんなのであろうか。
世界はフラットになって、どこの誰がみてもわかるように情報化されてしまった。スマホがある、スマホで情報がとれる、画像はスマホでみるものとなり、紙とちがって検索性に富み、いくらあっても邪魔にならない、面倒くさければAIが分析してくれる、その結果は可視化され、スクリーンでみてわかるものが世界のすべてと言い切っても特に支障がない。世界のどこからでもやりとりができる。独裁者が望む環境が誰にでも用意されてしまった。
ITベンチャーの社長さんとプーチンが私には重なって見えるのである。それくらい情報に関する仕組みとそれを使った組織運営は変化してフラットになった。
情報化されないことは気にしなくて良いのである。
私は空から落ちてくるミサイルやら爆弾から家族を守ることはできないであろう。日本という国家が国民をどれだけ守れるかも全くわからない。
すべてがみえてしまっているのだ、隠れるところなんてないのだ、きっと。
簡単に大量破壊兵器が作動できるのであろう。
日本の原発がミサイルで攻撃されたらどうすのか、という質問を総理大臣にした議員がいたが、そんなことはありえない、ありえないことには答えられないという答弁だったと思う。
ありえない、というのは、情報化されていない、ということであろう。地震の被害も、気象変動も精度の高い情報になっていないから、そんなことは想定外で検討に値しない、ということで同じ扱いなのだと考えると無理もない。
いつのころからこういう風潮になったのだろう。空からなにかが降ってきて死ぬ前に、それを防げればよいのだが、悪化を続ける状況が40年続いていることを考えると無力感に襲われる。