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ここに何もない (エッセイ)




 昔の話。
 
 私の家族はよく、日曜日になると大体三十分ほど車を走らせて、母方の祖父母の家へ行った。祖父、祖母、叔母、一匹のシュナウザー。私にとっては今でも大切な家族だ。
 
 祖父母の家へ行くと、いつもたくさんの料理が出てきた。もしかするとそうでもない日もあったのかもしれないが、小さい頃の私の薄らとした記憶では、テーブルに置ききれないほどの料理が並ぶ。そんなイメージだった。後は鉄板料理も多かった気がする。焼肉、もんじゃ、お好み焼きもあったと思う。ホットプレートを囲んでみんなで食事をする空間が好きだった。
 
 食いしん坊まーくん、なんて異名がつくくらい、昔の私は食べることが好きだった。葛西臨海水族館にいるマグロを見て、「美味しそう!」と言ったらしいし、寿司が食べたいからってお寿司屋さんになりたいという夢まで持っていた。今から思えばめちゃくちゃなエピソードだ。
 
 おそらくそれは、私が六歳だか七歳の頃の話。いつものように祖父母の家へ行き、私は夕飯が出来上がるのを心待ちにしていたのだろう。そして出てきた料理は、カレーライスだった。人にもよるだろうが、小さい頃の私はそこまでカレーライスに魅力を感じなかった。そしてカレーライスはそれオンリーで食べることができる(その日はサラダくらいあったのかもしれないが)。想像していただけるかもしれないが、各々の位置にカレーライス『だけ』が置かれると、どうしたってテーブル上にスペースができる。その空白を幼い私が指差して、言ってしまったらしい。

「ここに何もない!」
 
 祖父母の家へ行けば、たくさんの料理を食べることができる。そんなイメージを抱いていた幼い私にとって、カレーライスは物足りない食事だったらしい。後々話を聞けば、一同みんな驚いたらしい。そりゃそうだ。そんな発想誰もしないのだから。無理やりにでも良く言うなら、小さい頃の私は純粋で正直だったのかもしれない。ただ大人になった今なら、「お前どんだけ食い意地はってんねん!」と小さい頃の私にセルフツッコミしてしまう。カレーライス、今は好きで、何なら自分で作って食べるくらい好きだ。

 大学時代から料理をするようになって、ようやく料理をしてくれる人の気持ちがわかった。以前も感謝はしていたが、今は手間をかけて料理を作る苦労がわかる。仕事終わりに料理って大変だよなあ、と手抜きをする日も増えた。だから余計に、テーブルを埋めるほどの料理を作ってくれた叔母、そして毎日のように手料理を振る舞ってくれた母に、感謝。

 何だか、無性にカレーライスが食べたくなってきた。

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