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イタリアンソーダ飲みながら独り語り。



 みなさまこんばんは、蒼乃真澄です。

 今年初めての独り語り。エッセイを数本、詩を数本、短編を一本、noteに載せたのですが、いかがでしょうか。思いついたものを言葉にして書き、少し寝かせた後でちょこっと直して載せる。それが私のnoteの使い方です。長編小説はじっくりと熟考しながら書き進めていますが、noteに出すものは鮮度を大事にしています。レタスや刺身のように、新鮮なうちにお客様にご提供しているわけです。本当は長編小説もアイデアが思いついたらすぐに書き続けてなるべく早く完成させたいのですが、どうしても仕事との兼ね合いもあって時間がありません。ただ、私はかなりの飽き性なので、なるべく早いうちに書き終えないと、「まあ、飽きちゃったから未完でいいか」と勝手に中断してしまうケースもあります。治したいですが、なかなか治らない性質ですね。なるべく早く完成させる意識は持ち続けていたいですね。

 
 また近いうちに、先日観劇した二作品の感想をnoteに書こうと思っていますが、どちらも面白かったです。片一方はエンターテインメント的な面白さで、もう一方はアートかつ文学的な面白さがあり、まるで異なる味がする舞台でしたが、どちらも私の好きな味がしました。なんと言いますか、作品によってはちょっと合わないもの(ストーリーや演出など)があり、なんとか「良い作品だった」と思いたいのですが、どうもしっくりこない作品と出会うこともあります。ただ、人によっては私がしっくりこないものがどハマりする可能性もあるので、単純に良し悪しで判断することはできませんね。観劇は好きですが、果たしてこの作品は自分の人生に溶け込めるだろうか、そんなことを考えながら見てしまうので、若干緊張感があったりします。

 しかしどんな舞台であっても、芸術に触れることはいいことです。観劇の場合は、その空間でしか味わえない人間たちによる物語や音、光などの演出による独特な世界観を得られて、特に生で観劇すると人間たちの声や動きを肌で体感することができます。目で見て、耳で聞いて、肌で作品によって生まれた空気に触れて。そして実際に得たものを心の中で自分なりに解釈をしていく。私はその一連の行為が好きなので、定期的に観劇に出かけます。

 なんのために働くか。もちろん生活をするためですが、私は生活の一部に観劇があり、読書があり、執筆があります。仕事をすることも大事ですが、やはり自分が好きだと思えることを思うがままにできるように動く人生でありたいなって考えたりします。それがどこまで蒼乃真澄という人間を彩ってくれるのかはわかりませんが、なんとか自由かつ唯一無二な存在であり続けるように動けたらいいですね。

 実は今週も行きます。かねてから気になっていた小林賢太郎さん演出の舞台です。今から楽しみです。風邪をひかないように気をつけましょうか。みなさまも、どうか健康で。


 それでは、また。

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