父の人生を変えた『一日』その57 ~戦闘部隊~
その57 ~戦闘部隊~
その日は異様な雰囲気の日であった。㈱トーメンの木材部の上席はあわただしかった。人事関係の事だと思った。そのうちに部長から呼び出しがかかった。ライオン、お前を課長にしたという。ありがとうございます。と即元気に答えた。所が同時に木材部で8人が課長になった。49年入社では私だけであり後は皆、先輩たちであった。萬玉本部長の怒鳴り声が聞こえた。49年入社の水澤君が課長拝命したのにお前は水澤君より7年も先輩だろう。もっと頑張れとどやしつけていたのである。
独身寮の先輩方であった。少し気まずい関係であった。会社の辞令だから仕方ないとも思った。総合商社で課長職はなかなかのものであった。管理職として一番脂が乗りきった働き盛りの戦闘部隊であった。肩書はどうでもよいことではあるがやはり社外にでると箔が付くのである。先輩から人間は『お金を求める人・肩書を求める人』と2種類の人間がいることも教えられた。私はどちらでもないと思った。肩書やお金は自然とついてくるものと思った。嬉しそうに奥様に課長昇格を電話している先輩を見て首をかしげた。肩書、会社では勲章である。しかし私は肩書よりも商売をもっともっとやりたくてうずうずしている時期であった。昇格人事やはりサラリーマンではうれしい事なのである。私は課長から次長になるに最短時間でなった。しかし、さほど嬉しいとも思わなかった。
~倅の解釈~
日本に帰ってきてからの親父とは私が単身留学してしまったので2年弱しか過ごしていない。アメリカで真っ赤なマスタングに乗り、大豪邸に住んでいた。そこから日本に来たら、朝は小さな社宅から自転車に乗り駅に向かい、電車に1時間半ゆられ出社。取り巻く環境は大きく変わったが内面はまったく変わっていなかった。
親父が課長に昇進したことは家族も知らなかった。親父はそのような話は一切家ではしなかった。肩書を自慢したことは無かった。でも逆に、仕事でこんな素晴らしい受注があった。こんなドラマがあったなどの話は良く聞いた。
親父が書いている通り、40歳ぐらいからが人は一番働ける年齢なんだと思う。経験があり、独立した考えを持ち、部下を持ち、組織を引っ張る能力もついてくる。私自身もちょうど青年会議所を卒業した40歳からかなり仕事、経営に対する意識が変わってきた。
この『戦闘部隊』という年代にいかにがむしゃらに仕事に没頭して自分自身と向き合うかが勝負なのである。私は今43歳。まさしくその年代を日々噛みしめている。