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父の人生を変えた『一日』その94 ~セカンドネーム~

その94 ~セカンドネーム~
 アメリカに駐在する日本人の総合商社マンは必ずセンカンドネームを持つ。なぜかというと例えば、森田幸夫さんの幸夫が英語で言いにくいからなのです。幸夫は英語で言うと幸いな夫だからニックネームセカンドネームはLucky幸運ラッキーとなって公式名刺にもYUKIO Lucky MORITAと書かれるのである。
先輩の安川さんは恒(つね)勝(かつ)だったので恒に勝つから勝利のVICTORYでビック安川となるのである。背丈が小さい小林先輩が駐在できた。本当に小柄だったのでニックネームセガンドネームだけは大きな名前にしようとアレキサンダー大王の名前を取ってアレックス小林にした(笑)。川端先輩は敏明だったのでベン川端、小林先輩はジョーと呼ばれ2人一緒に駐在していた時はベンとジョー「便所」と呼ばれていた。タイガー高田は、寅年生まれだからタイガーになった。
 ライオンは当時のウエア―ハウザー社の副社長が名付け親であった。名付け親をゴッドファーザ「god father」と呼ぶ。茂夫は全く言いづらくて色々考えてライオンになった。まず声が大きいから雷の音「雷音」でありもう一つの意味は「百獣の王ライオン」は子ライオンを崖から落とし這い上がってくる子ライオンを後継者に選ぶ事から私が「百獣の王」になれるように銘々して頂いた。
気に入った嬉しい名前だった。時たま年2回シアトル駐在の総合商社マンでお会いするがニックネームで呼び合うとあの懐かしい常緑の州「Evergreen State」ワシントン州のシアトル市を思い出して懐かしくなるのである。外人と親しくなるとやはりライオンは「ハイ、ジミー」とニックネームで呼び合うのである。


~倅の解釈~
 親父のセカンドネーム「ライオン」は、とにかくピッタリであった。30代で親父はこのニックネームを拝命するが、この名前に負けないよう自身を奮い立だしたかと思う。
 子を崖から落とし、這い上がってきた子ライオンのみを自分の子どもと認める。確かに厳しい親父。総合商社マン時代、部下の方とお話しする機会が何度かあったが、本当に厳しいんだと痛感した。徹底した鞄持ちの行動。先輩は絶対という姿勢。完全体育会系の関係。
 勿論、実の子である私も何度も何度も崖から落とされた。這い上がる中、崖をのぼりつめた最後の最後に手をさしのばされ、「バカ」とまた蹴り落とされることは日常茶飯事。子どものころからも、教育は厳しかった。親父も、おふくろも。
 一度、マッチで遊んでいて、名古屋の社宅のベランダからお袋にさかさまに吊るされたことがあった。近所住民からあまりにもかわいそうなのでと言うことで助けられた。またある時アメリカで、妹との喧嘩で妹を押したら、「ブン」という音が聞こえてきて、灰皿が飛んできて頭に直撃。未だにその傷は残っている。一番の思い出は、何をしたかは覚えていないが、夜、親父にボコボコに殴られ翌日アメリカの小学校に行った。普通に自宅に戻ったら、警察が自宅を訪問。小学校が家庭内暴力で通報したらしい。大爆笑だったが、親父は、私を殴ったことを素直に認め、なんと一言で理由を述べて、警察を返した。
 「Its Japanese Culture」。殴ることは、厳しいい教育は日本の文化だ。
 セカンドネームを心から愛していた親父。亡くなった後に、悩みに悩んでお寺さんに相談。「雷音」という文字を残したかったので。お寺さんから、全然いいですよと。親父さんの想いがこもった方がいいかと思いますとのことで、「雷音」という二文字が刻まれている。代々、この文字の説明を継承していくつもりである。
 私もセカンドネームを持っている。元博という発音は非常に難しい。空手の試合などで名前を呼ばれる際に苗字も含めてチャント呼ばれたためしがない。結果、「Moe」(モー)というニックネームを空手の先生がつけてくれた。
 「The Three Stooges」(三ばか大将)から頂いた。アメリカの1930年代、ヒットしたコメディーグループである。メンバーは3名。MOE, LARRY, CURLEYである。Motohiroであったので、Moeと書いて、モーと言う名前を頂いた。未だに親しい友人からはモーと呼ばれている。


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