父の人生を変えた『一日』その80 ~既成概念~
その80 ~既成概念~
長岡に帰ってきた。一番先にした仕事が社員の見舞いであった。ある部の古株社員で胃の3分の2を摘出した。長岡中央綜合病院に入院していた。その部はなんと3人で細々と業務をしていた。親父さんに打診した。
『この部は伸ばすのですか?縮小するのですか?』
親父さんはぽつんと
『伸ばしたい』
ライオンの気持ちは決まった。伸ばすなら徹底して伸ばしていこうと。人事の機構変革やら若手の要請やら徹底してやりまくった。たった2千万円の売り上げが10年で2億円になり若手も育ち当社の大黒柱に成長していった。親父さんのあの一言、『伸ばしたい』がそうさせたのである。やはり商売とはわからないものである。巧く流れる時はどんどん巧くいくのである。逆に天誅殺の時はじっと我慢の子である。
『親父さんこの会社の協力会に入会しますが良いですよね?』と会長に言った。
『誰が許可したのだ?』
親父さんこの会社の協力会に入りたくて何度も何度も頼んだが既存の電気会社がありなかなか入れてもらえなかった経緯があった。先方から『是非入ってください』と言われたのですよと言った。親父さんは首をかしげていたが非常に嬉しそうであった。婿の野郎『なかなかやるな』と思っているような顔をしていた。総合商社でもまれてきたライオンは既成概念をどんどん打ち破る色々な行動にでたのである。
~倅の解釈~
親父は長岡に赴任早々、様々な改革を行った。ただし、ここに明確に書き留めたいのが、すべて初代創業者である、祖父に相談した上で行動していた。
祖父は頑固者。時代がそうさせたのであろう。多くを語らず、背中でオーラを発する。そんな人間であった。孫である私。初の男の孫であったので可愛がってもらったが、孫ながらに祖父が怖いと思う一面を持っていた。経営者であり、創業者である顔。これには親父も勝てない。いくら総合商社で世界をまたぎ活躍しても、『創業者』の凄さは桁外れである。当時、親父は業界から「付き合いが悪い」とレッテルを貼られながらも、毎晩自宅に20時には戻り、祖父と食事をした。祖父から色々と学ぶためである。
親父はとにかく祖父の喜ぶ顔を思い浮かべながら会社改革を行っていたと思う。良くなっていく業績、財務内容と祖父は喜んでいたに違いない。ただ、これについていく会社のスタッフは大変だったかと思う。急に来た総合商社マン。企業戦士。ここに私も知り得ない人と人の摩擦があったのに違いない。
私にも同じようなエピソードがあるが、親父のようにうまくはいっていない。専務取締役になり、会社のかじ取りをある程度任された。でも失敗の連続。特に人財に対する向き合い方の根本が間違っていた。もう少し早く気づいたいたらと後悔する日もある。
『すべての責任我にあり』大好きな先輩の言葉である。まさしく、当時の業績の悪さは私の甘さといい気になっていたエゴイズムがすべての原因。
業績が悪い中、親父から東京営業所を締めると言われた。その時、一人で東京営業所を任された。親父からは忠告が会った。
『東京営業所の歴代所長は女かお金で失敗している』と。
『お前はどちらで失敗するか見ものだな』と。
運よく、どちらでも失敗せず、東京営業所の業績がぐんぐんと伸びた。関東方面の受注を報告すると、親父は微笑みながら、まだまだだなと喝を入れられる。初めて、親父の生まれ故郷茨城県の仕事を受注した時はさすがに喜んでいた。
『現場を見に行くぞ』この言葉が私とって一番の褒め言葉だった。
親父も私もまったくもって「既成概念」にこだわらないアイデンティティー。全てが挑戦であり、考える暇、悩む暇があったら、動いて足で稼ぐ。そんなタイプである。