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父の人生を変えた『一日』その37 ~アメリカの学校~

その37 ~アメリカの学校~
 娘は3才でアメリカに来た。黒人を見た事がなくて最初は怖がった。息子は米国についた次の日からアメリカの小学校に通った。何の抵抗もなくアメリカに馴染んでいった。娘は幼稚園に行く前には近所の金髪の子供と「ままごと」をして毎日遊んでいた。すぐに6ヶ月が経った。娘の有香が寝言を言った。驚いた。英語で寝言を言っているではないか。素晴らしい事であるが全く驚いた。
 子供は月曜日から金曜日までアメリカの小学校、幼稚園。土曜日だけが日本人学校である。英語は日に日に巧になっていき完全なるネイティブ(現地人)になるには時間はかからなかった。ある時、幼稚園に娘の有香を迎えに行った。気の強い娘だったが、どのように馴染んでいるかなと思って迎えに行った。娘は先頭になってアメリカ人の子供たちをリードして遊んでいるではないか。全くの驚きと頑張っている娘の姿に感動を覚えた。ある時娘が親友のヒラリーちゃんを家に連れてきた。金髪の可愛いお嬢さんだった。話の中で「step-brother」と言う言葉がでてきた。「Step-brother」とは離婚した前の旦那さんの子供の兄の事をいうのであった。家が対岸にあり毎日フェリーでシアトルの幼稚園に通っているという。アメリカでも子供は子供で自分の世界を作っていくのである。


~倅の解釈~
 妹は3歳、私は7歳でアメリカへ。当時の記憶が妹は無いという。私は渡米後の翌日にイーストゲート小学校に入学したことを鮮明に覚えている。担任の物凄く体の大きいバーカスカス先生がクラスのみんなと「おはよう」と迎え入れてくれた。聞くと、その小学校始まって以来二人目の日本人で、入学してくる私のために色々と子どもたちと日本語を練習してくれていた。
 母からは3枚ほどカードを預かって登校。ありがとう、分からない、トイレと英語で書いてあったカードだったと記憶している。スクールバスに乗って登校は入学して1週間たってから挑戦。母も私もどのバスに乗ると学校に着くかわからなかったので、朝から、近所のバスを尾行して確認。そして、学校からどのバスに乗るかも母と一緒にバスを追いかけて確認。降りるバス停から自宅まで歩いて20分。ここも何度も歩くのを練習。
 初めてのスクールバスも物凄く印象的だった。乗り込んでお袋が「行ってらっしゃい」と多分涙をこらえて送り出してくれたと思う。このバスをお袋は何度か追跡して、ちゃんと私が学校に到着していることを確認していたことを後程聞く。バスに乗り込むとまずはバスドライバーがあたたかくむかえてくれて、関に座ろうとしていると、可愛い女の子が隣の席へと案内してくれた。この子がアリーシア。いまだに名前を憶えている。のちにガールフレンドになる子である。
 父は父で、企業戦士として、商社マンとしてアメリカで戦った。そして、あこがれのアメリカを堪能した。母は母で、父をサポートする妻として、異国の地で悪戦苦闘し、最終的には大好きな国となった。
 そして、子は子で、遠回りをしながら様々なアメリカの親切のおかげでアメリカンライフと楽しんだのである。

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