父の人生を変えた『一日』その63 ~改革~
その63 ~改革~
アメリカから帰って商売に専念した。福島県の小名浜の米材製材協同組合から講演の依頼があった。ライオンの狙いはソ連材から米材に切り替える大きな目標が心の中にあった。小名浜の田舎者製材工場の親玉がかなりの数集まっていた。当時ソ連材が小名浜港にあがる全盛時代えあった。ソ連材エゾ松・カラマツが主体であった。全て戦争で捕虜になった日本人が教えた長さ通りの12m・8m・4m定尺の木材あった。また、当ソ連材の丸太の値段が日増しにあがっており『引き合わない』つまり製材して製品にして製品販売の採算が取れない状況で製材工場は完全に赤字生産を強いられていた。
ライオンは『時、得たり』と思った。これぞ千載一遇のチャンスと思った。まず講演では、度肝を抜く発言をした。
『皆さん、これからソ連材を製材していくと貴方方の会社は5年後に倒産してなくなっていきますよ』とぶちかました。製材工場の社長達は一瞬ムッとして怒り顔であった。この若造生意気にと思ったと思う。しかし続けた
『このライオンがあなた方の命を助けてあげます。』
皆、唖然とした。ソ連材製材して合わないならこれからは米材を製材しなさい。ソ連材より石単価(こくたんか)で1000円安くアメリカから木材を運んできますよ。そして㈱トーメンがいくらでも面倒みますよと大きな声で啖呵を切った。製材工場の社長どもは頭を殴られた衝撃以上の効果があった。
『ライオン、本当に1000円も安く持ってこられるのか?』
皆、懐疑的になっていた。任せなさい㈱トーメンのライオンが米材のプロが言っている事だと強調した。
そして、製材工場の社長を更に怒らせる発言もした。あなた方は会社の財務内容が悪いので直接売る事は出来ません。与信審査で却下されます。しかし唯一の方法があります。
『全て銀行保証付きの手形で払って下さい。更に保証料は㈱トーメンが負担します』
と言い切った。唖然としていた社長達はすぐに米材に切り替えるに時間はかからなかった。全くの正解であった。あっという間に小名浜港は㈱トーメンのアメリカ丸太で埋まるほど入荷しソ連材に打ち勝ったのである。まさに天晴れ天晴れであった。
『㈱トーメンにライオン水澤あり』とおだてられ全国的に名前が轟いた。当時業界を変える大革命であった。人間やればできるの良い見本になった。小名浜港、あそこのサンマは特に巧いぞ。
~倅の解釈~
2011年3月11日。東日本大震災が発災した時、親父から連絡があり、災害支援関係の活動している私に対して業務命令のごとく言われた。
『福島県の小名浜が大丈夫か見てこい』
親父から小さい時から福島の小名浜での話しは聞いていたので、心配なのだとすぐに察した。勿論、その日は見に行くことはできず、後日、現地から写真をおくったらガッカリしていた。当時、お世話になっていた居酒屋のことを気にしていた。そこでこのエピソードに出てくる社長の方々と夜な夜な商談したのであろう。
親父は商売に対して360度様々な視点から物事をとらえていた。全面的に大丈夫と確信した仕事程、心配をした。世界を飛び回る商社マンのいわゆる第六感がいつも働くのである。特にセールスとマーケティングには斬新な考えをいつも持っていた。どうしても日本という国はマーケティングがおろそかになってしまい、会社の信頼で獲得している『ルートセールス』に頼りがち。新たなクライアントを獲得するということ自体がなかなか浸透していない。
『365日24時間、仕事のことを考えよ』
『どんなところに行っても、すべてのことを仕事に結びつけよ』
よくこんなことを親父から言われた。食事をする飲食店から車で走ってて見かけた大手企業まで、すべてお客様として物事を考えろという教え。これを私は実践するのが大好きだ。弊社の業績が悪化した時も飛び込み営業で危機を逃れた。親父が亡くなった後も親父が生前まいていた種をしっかりと刈り取らせてもらっている。営業とは奥深く何よりも『楽しい』ものである。
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