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頭を使わないまま、意志を持てないまま/学びは失われていく

勉学はいつから、

他人に全て用意をしてもらって、強制され、管理され、頭も使わず、ただなぞるだけのものになったのか。

そしてそれは俯瞰してみた時に、果たして将来、一体何の役に立つのか。


ここ数年で、一気にこうした傾向が加速して、一つの完成を見るに至っている。


当地域の文化資本の低さがそれを助長してしまう面があるとはいえ、

到底、学び、成長、自立といったこととはかけ離れたものになり変わっている。


まちの行く末にも大きく関わる重大な事態が、単に子どもたちそれぞれの未来のことに留まらず、進んでしまっているとも言えるだろう。


ところで、高校での、恐るべし宿題課題の話も聞いた。

◯百枚のプリント、◯年分の過去問練習、という強制宿題、

それに、そのための誓約書を書かされたという‥。

これは教育虐待なり人権侵害にあたるとすら考えられるのだが。

果たして、この地域の大人は声を上げることもないのだろうか。

県教育委員会に知らせるべき案件だと、僕は思うけれども。


学びは学びでなくなり、

成長も自立もない、何か、が、教育という名のものとで行われている。

地域やまち、共同体のあり方とそこにある文化資本への問い。

さて、

我々は一体どこへ行くのか。


(おわり)



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本田篤嗣(Master Honda)
記事を気に入っていただけると幸いです。NPOまなびデザンラボの活動の支援に活用させていただきます。不登校および発達障害支援、学習支援など、教育を通じたまちづくりを行っています。