美味しいコーヒーとは体が喜ぶ珈琲の事
皆さまおはようございます。
今日(2020年6月21日)は暑くなりそうですね。
久しぶりの晴れなので、この土日は平群の道の駅も人が多いです。
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ありがたいことにお客様からよく
「すぎた珈琲さんの珈琲は美味しいね、よそと味が全然違うんだけど、何が違うの?」
という、言葉を頂きます。
すぎた珈琲のこだわりは下記事を見て下さい。
美味しいという言葉は、結構陳腐で使い古された言葉で、食べ物や飲み物を扱っている者なら
「私たちの作っている食べ物は美味しいです」
と全員いいます。(一部青汁は除くw)
ですので、うちの珈琲が美味しいとか、よその珈琲が、美味しくないとか基準があいまいで、使うのをためらってしまいます。
ですので、お客様から
「オタクの珈琲は美味しいの?」
と、問われたら
「沢山の方から、美味しいと言ってもらってます。」
といった感じで、なるべく客観性を持たせて、自分の主観を入れないようにして答えます。
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で、今日のお題目は
【絶対的な美味しさは果たして存在するのか?】
という素朴な疑問です。
「絶対的な美味しさ」とはつまり誰からみても美味しいという事なので、まあ少なくとも9割以上の人が美味しいと言うレベルのもの、くらいのハードルでしょうか?
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美味しいって、そもそも何なのでしょう。
美味しいと感じるのは味蕾という舌の上にのっている無数の味を感知する細胞の作用です。
元々味というのは、体にとって毒になるものを口にしないための免疫機構だと、思っています。
つまり、
苦い = 毒
酸い = 腐ってる・未成熟
甘い = 美味しい
塩辛い= エネルギー
といった具合で、味覚によって
美味しい = 体にいい
不味い = 体に悪い
と、判別しているわけです。
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珈琲を飲んでいて、、、珈琲だけではなく、
色んな食べ物を咀嚼していて食が進まない、という事があります。
つまり、食が進まないのは不味いから、体に益でないから進まないと、考えるわけです。
逆に美味しい珈琲(体に良い珈琲)を口にすると気が付いたらカップが空っぽになっていた、ということもあります。
美味しい物にあたると、無言でガツガツ食べてしまうわけですね。
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で、結論なのですが
【美味しいとは】
体に良くて滋養やエネルギーになる物
【まずいとは】
体に害があり、命を縮める物
と、定義できます。
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しかし、ここで問題になるのが本来毒である、化学物質やアルコール・ニコチン・カフェインは取り過ぎると五感を麻痺させてしまうので、刺激物を日頃から過剰摂取すると、いざという時、体の免疫作用である味覚が働かなくなる事もあるという事実です。
毎日添加物ばかり食べていると、味音痴になるわけですね。こうなると体を守る味覚も正常に働かなくなります。
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まとめとして
【すぎた珈琲が目指す珈琲とは】
「誰が飲んでも美味しく感じ、体に良くて、いつ飲んだか分からないような、類まれな風味の人々を幸せにする珈琲」
となります。
下記ブログでも書いていますので
宜しければ参考にして下さい。