なぜあの人は「センスがいい」のか? 白米FMと探る“ヘタウマ”の秘密【センスの哲学】
「なんかセンスがあるよね」――この一言に、微妙な感情を抱いたことはありませんか?
自分でもよくわからないけれど「いい感じ」を醸し出す人を見て、「あの人、センスいいなあ…」と憧れたり、逆に「自分にはセンスないから無理」と諦めてしまったり。そんな微妙なズレや羨望が、「センス」という言葉には宿っている気がします。
今回の白米FMは、ゲストに“場作りの達人”ダイチさんをお迎えし、千葉雅也さんの『センスの哲学』をガッツリ語りながら、「センスって何?」「ヘタウマってどういうこと?」といった話をワイワイ展開しました。
ポッドキャスト表現の話からAIの時代の課題設定、さらにはネギの切り方(!)まで飛び出すトークの中で、僕たちはどんな“センス”にたどり着いたのでしょうか?
※この記事は、日米のIT業界で働く友人同士で対話したポッドキャストの内容を元に文章化しています。実際の音声へのリンクは最後に掲載しておきます。
センスは“逃げ”の言葉? それとも憧れの言葉?
「センスがあるね」と言うときのニュアンス
他人を見て「センスいいね」と感じるとき、実はその良さを十分に分解・説明できないからこそ、「センス」という魔法の言葉でまとめてしまう。
分解すれば何とか学習・習得できるかもしれないのに、「センス」と言ってしまうことで諦める
あるいは「センスとは先天的なものだ」と思い込み、「自分にはムリ」と封印してしまう
対照的に、「センスは努力で身につく」と信じる人は、研究や知識で体系化しようとする。つまり、人によって「センスは生まれつき」か「センスは努力次第」か、見方が全然違うわけです。
ポイント
センスが先天的か後天的か――結論は出にくいですよね。だけど、どこで諦めて、どこを伸ばそうとするかは、その人の“生き方”に直結しているように思えます。興味ある分野なら分解して努力し、ない分野は「自分はセンスないわー」とスルーする。結局、センスという言葉は「自分に合う・合わない」を無意識に振り分けるための道具なのかもしれません。
“ヘタウマ”の肯定 —— 「うまく真似できない」からこそオリジナリティ
完全コピーできない“歪み”が個性になる
千葉雅也さんが『センスの哲学』で強調するのが、「ヘタウマ」という視点。
本来は上手なやり方やフォームがある
でも、それを真似しようとしてもうまくいかない“歪み”が出る
この「下手さ」が逆に味わいや個性を生む
ポッドキャストを例に
白米FMは“超相対性理論”という番組を参考にしつつ、完コピは目指さなかった結果、独特のゆるさが出ている
ダイチさんが配信している“文学ラジオ空飛び猫たち”も、あえて他の番組を深くリサーチしすぎずに独自スタイルを展開→結果的にオリジナリティが芽生える
ポイント
ヘタウマ感って、コピーしきれないズレを「むしろ面白い!」と捉える考え方。これは何か新しい挑戦をするときにも大事ですね。全部パーフェクトにしなくてもいいし、自分の不器用さこそ魅力になる可能性がある。苦手を「個性」と言い換える――まさにセンスの発揮の仕方とも言えそうです。
リズム論で読み解くセンス —— ポッドキャストは“時間芸術”
ビート+うねり=飽きさせない
千葉雅也さんは「リズム」をセンスの重要な要素として挙げています。そこには“ビート”(予測可能な繰り返し)と、“うねり”(予測不可能な変化)のバランスがある。
一定の繰り返し(安心感)に、予想外のズレや盛り上がりが加わって面白みが生まれる
ポッドキャストでも、定型のコーナーやオープニング(ビート)がありつつ、脱線トーク(うねり)で意外性を演出できると、リズムが良くなる
「リズム」という表現に違和感を覚える人も?
一方、リズムと聞くと「単なる一定の拍子」で味気ないと感じる人もいるでしょう。だけど“微妙なズレ”こそがリズムを生き生きさせるわけで、「完全に均一な音」を続けるのとは違うんです。まさにここでも“ヘタウマ”なズレが活きてくるのかもしれません。
課題と問題、理想像のズレ —— 人間同士の“センス”が交錯する
AIには解決できない“問題”とは?
「AIは論理的に処理できる“課題”は得意でも、根本的な“問題設定”は人間に依存する」――よく聞く議論ですね。
課題=数値化・論理化できるもの
問題=理想像や価値観に紐づくため、そもそもひとつの答えに定まらない
センスとはまさに“価値観や理想像”のズレをどう扱うかでもある。たとえば「美味しい」「美しい」と言っても、人それぞれイメージが違うのに「同じ言葉」で盛り上がれてしまう不思議。そこに人間的な面白さ(センスの共有)がある。
ポイント
ダイチさんが語ったワインの「タンニン好き」と言い合っても、実は微妙に違う味を想定してるかも…という話が象徴的です。完全に合致しないのに、“何となくわかる”感じで共有できる。センスの世界はこの曖昧さを楽しめるかどうかが鍵なんですね。
小説は“センスのるつぼ”!? —— ダイチさんおすすめ本
「文学ラジオ空飛び猫たち」を通じて
ダイチさんが運営している文学ラジオでは、海外文学を毎週紹介。そこには「知らない世界に連れていかれる楽しさ」が詰まっていると語ります。
1冊で多種多様なキャラの思考や感性に触れられる
まさに“センスのるつぼ”とも言える世界観
ダイチさんが僕らにおススメしてくれた本
吉田修一『国宝』: 歌舞伎役者を描いた物語で、そのセンスと到達点を感じられる
吉田修一『横道世之介』: 大学生の日常を愛おしく描くセンスが秀逸
中村文則『遮光』: ちょっと不穏な空気感が魅力…好き嫌いは分かれるかも?
ポイント
読書好きな人がオススメしてくれる本って、その人のセンスが凝縮されてますよね。「自分になかった世界」を味わうのは、センスの幅を広げる一番の近道かもしれません。「ヘタウマ」「リズム」「ズレ」の視点で小説を読むと、また面白さが変わるかも…?
まとめ
1. センスは分解できる? 天性のもの?
「センス=先天的才能」と見なして諦めるか
「センス=後天的に学べる」と信じて分解・努力するか
人によってスタンスは違うが、実際は両面ある気がする
2. ヘタウマ=コピーしきれない“ズレ”の魅力
完コピを目指すけど、失敗するところに独自性が生まれる
苦手や歪みを肯定してみると、新しいオリジナリティが花開く
3. リズムと予測不能
ビート(繰り返し)+うねり(意外性)の組み合わせが人を飽きさせない
ポッドキャストやアート作品、あらゆる表現に“リズム”が潜んでいる
4. 理想像や価値観のズレを楽しむ
同じ言葉で盛り上がっていても、実は少しズレている
そのズレを「共感し合える」不思議がセンスを彩る
5. 小説やロールモデルでセンスを拡張
知らない世界に触れる → 新たな感受性やズレを楽しめる
ダイチさんオススメの本を読んでみるのもアリ
結局、「センス」とは何か?
結論めいたものを言うなら、「誰かや何かを完全にコピーできないからこそ生まれる“ズレ”や“歪み”」が、大きなポイントかもしれません。そこに“うねり”や“リズムの変化”が加わって、自分独自のスタイルが出来上がる。
「センスある!」と感じるときって、じつはその“ズレや歪みを魅力に変えている”状態を目撃したときとも言えそうです。もちろん知識や努力を重ねれば、ある程度の部分は分解・再現可能でしょう。けれど、最後の最後ににじみ出る何か(ヘタウマ、うまく説明できない独特の息づかい)が、人間らしいセンスを生むんじゃないでしょうか。
あなたはどんなヘタウマやズレを、楽しんでみたいですか?
そこに、あなた独自の“センス”が隠れているのかもしれません。そしてそのセンスを共有し合うことで、ちょっと奇妙だけど楽しい“共感”が生まれる。
そんな「センスの哲学」的なコミュニケーションこそ、人間の醍醐味かもしれませんね。
こちらの記事の、元となった対話音声はこちら↓
白米FMとは?
日米のIT業界で働く小学校からの友人2人が、最新トレンドから古の哲学思想まで気ままに語り合う人文知系雑談ラジオ。
コテンラジオ、超相対性理論、a scope等に影響を受け、一緒に考えたくなるような「問い」と、台本のない即興性の中で着地点の読めない展開が推しポイントです。
移り変わりの速い時代だからこそ、あえて立ち止まり疑ってみたい人。
他者の視点や経験を通して、物事に新しい意味づけや解釈を与えてみたい人。
自分の認知や行動を書き換えて、より良く生きる方法を一緒に探求しましょう。
※ポッドキャストの文字起こし版へのリンクはこちら(LISTEN)