「このままでいいのか…?」中年クライシスの不安を乗り越えるための処方箋
「最近、なんか“刺激”が減ってきた気がする」
「昔はあんなにワクワクできたのに、いまはイマイチ盛り上がらない…」
そんなモヤモヤ、ふと感じることはありませんか? いわゆる「中年クライシス」や「ミッドライフクライシス」と呼ばれるこの感覚――世間的には「40歳前後で陥る“人生の折り返し地点の危機”」などと言われますが、実際はもっと若いときから始まる人もいれば、50代で急に来ることもあるようです。
今回の対話は、phaさんのエッセイ『パーティーが終わって、中年が始まる』をきっかけに、「あれ、もしかしてこれが中年クライシス…?」というモヤモヤを雑談的に掘り下げました。
仕事も生活も安定してきたし、それなりに手に入れたものもあるはず。でも、なぜか「この先、どうなんだろう…」と漠然とした不安や退屈感が募る。ここでは、その原因や対処、そしてクライシスを逆に活かすヒントをまとめてみます。
※この記事は、日米のIT業界で働く友人同士で対話したポッドキャストの内容を元に文章化しています。実際の音声へのリンクは最後に掲載しておきます。
『パーティーが終わって中年が始まる』が面白かった理由
柔らかい文章から漂う“衰え感”
著者のphaさんは、若い頃からシェアハウスを運営したり、あちこち転々と暮らすなど、常に“新しい風”を取り込むライフスタイルを実践してきたタイプ。ところが年齢を重ねるにつれて、体力的にもモチベーション的にも変化が訪れ、「昔はあんなに動けたのになあ…」という衰えや行き詰まり感を感じ始めたそうです。
この本は、そうした“衰え”や“変化”をふわっと受け止めながら書かれているので、読んでいると「わかる…」「これ、もしかして自分も?」と共感しやすいんですよね。
“衰退”を素直に描くエッセイの魅力
いわゆる自己啓発本のように「バリバリ成果を出そう!」と煽るわけでもなければ、深刻な絶望に沈むわけでもない。むしろ、「変化していく自分をそのまま認めつつ、どうしようかね…」というゆるいトーンが独特。
「まだ終わりじゃないけど、パーティーは終わった感じがする」――この微妙な空気感が、クライシスを感じる人には刺さるかもしれません。
感受性や欲望が薄れる? 中年期ならではの寂しさ
「昔より感動しにくくなったかも?」
ゲームや音楽、本――若い頃は新しい作品に触れるたび衝撃を受けたり、夜通しハマれたのに、年齢を重ねると「だいたいこんな感じでしょ」と予想しがちで、あまり驚かなくなる。
「これ欲しい!」と思うモノも少なくなって、「まあ別になくてもいっか…」みたいな感じ。刺激やトキメキが減って、ちょっと寂しい――こんな声がちらほら。
自分の“レンズ”を再活用する楽しみ
一方で、昔ハマった作品のリメイク版やシリーズ最新作を観ると、当時の記憶が蘇り再び楽しめることもあります。“若い頃に培った感性”をいま再利用している、という感じですね。
これはこれで、「もう一度懐かしいモノを楽しめる」という意味では悪くない。けど、新しいトキメキや発見が薄いのも事実。「ああ、このパターンね」とどこか斜に構えてしまう。
人生の“未開エリア”が見えなくなる? 世界観が整地化される怖さ
若い頃はサブクエストだらけ
RPGゲームに例えると、20代ぐらいは「行くとこ全部が新鮮! 未開エリアばっかり!」という感じで、どのサブクエストに挑もうかワクワクします。
ところが年をとると、色々“経験済み”になってしまい、「もうこの辺は全部クリアしたでしょ」と“未開エリア”が見えにくくなる。新しいチャレンジへの好奇心が薄れ、「メインストーリーだけやって終わりにしよう」という気持ちになりがち。
局所解にとどまる最適化
日常でも、同じスーパーで同じもの買い、同じラーメン屋に通い、同じ趣味をループ…。「結局これが一番コスパいいんだよな」と固まってしまう。安定はするけど、成長や刺激は得られにくい。
これはゲームで言う「局所解」みたいなもの。もっと遠回りしたらより面白い発見があるかもしれないのに、「まあいいか」とスルーしがちなのが中年期のあるあるかもしれません。
「新しい挑戦」にわくわくできない → モヤモヤ → しかし手を出してみる?
仏教思考っぽい受け入れ方
もし本当に「もうトキメキは要らない」「十分味わったし、無理して若い頃みたいに動き回りたくない」という境地に達しているなら、それを素直に受け入れるのもアリ。無理して挑戦しても辛いだけかもしれない。
一方で、「いや、まだ何かあるはず」と思うなら、あえて外へ飛び出してみるのがおすすめ。慣れた店ばかりではなく、初めてのコミュニティや未知の趣味を試すとか、いきなりスパイスからカレーを作るような新分野に手を出すとか。意外なサブクエストが復活する可能性も十分あります。
じゃあ、どうする? “クライシス”をどう受け止める?
クライシスは“成長”の機会かもしれない
「中年クライシス」は人生の折り返し地点で起こるアイデンティティの揺らぎ。「もう若くない…」と痛感し、自分のキャラや価値観が変わっていく段階を指します。
これは辛い面もあるけれど、葛藤を経てさらに成熟するチャンスでもある。いままでの自分を手放し、新たなステージに移行する節目と考えれば、クライシスをポジティブに捉えることもできるわけです。
“外”と“内”をうまく往復する
外へ出る: 新たな体験や出会いで、刺激を得る
内へ戻る: それを自分の中で咀嚼し、モヤモヤや不安を整理する
また外へ…という往復が、クライシス期には大事。
視点を変えるには“他人”と遊ぶ
子どもと遊ぶと、大人目線では見逃してた興味が芽生えることがある
新しいコミュニティや趣味仲間と関わると、“自分にはなかった視点”を借りられて新鮮
まとめ
クライシス(危機)は誰にでも起こり得る
20代後半~30代、あるいは40代で「やりたいこと、だいたい一通りやった…?」と感じ始める
モヤモヤのサイン
昔ほどトキメキしない
なんとなく次が見えない、未来が淡泊に感じる
欲しいものや興味が減って、「まあいいか」と何でも済ませがち
受け入れる or 新たな行動に出る
「もう満足した」と思うなら、無理に頑張らなくてもよい。次のフェーズとして安定や穏やかさを楽しむ道もある
まだ少しモヤモヤがあるなら、あえて変化を起こしてみる。小さなサブクエストを探すだけでも刺激になる
“クライシス”が新しい問いを生む
「こんな状況でも面白いことってあるかな?」
「昔の自分にはなかった役割や視点って、今なら楽しめる?」
そうやって探索を続けると、思わぬ成長や発見に繋がるかもしれない
中年クライシスは、「今までのやり方や感性が効かなくなった?」と戸惑う瞬間でもあります。が、そこをただの衰退と嘆くか、新たなスタートと見るかでだいぶ世界が変わる。
無理に若い頃のテンションに戻らなくてもいいし、逆に「まだやりたいことがある」なら思い切って手を伸ばしてもいい。そういう“選択肢を増やす”時期こそが中年クライシスの醍醐味。
結局、このモヤモヤ感は誰かに解消してもらうものではなく、自分でモヤモヤを抱えつつ、外と内を往復してちょっとずつ形にしていくしかありません。たとえパーティーは終わっても、そこからまた別のパーティーが始まるかもしれない――そんなふうに開き直ってみるのも、悪くないんじゃないでしょうか。
こちらの記事の、元となった対話音声はこちら↓
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