フワちゃん炎上から考える「責任」とは? 虚構と必要性の間で揺れる社会の構造
「あの人が“炎上”した途端、みんなこぞって叩き始めたけど、そもそも誰があの人を“裁く”権利を持ってるんだろう?」
「仕事でちょっとミスがあったら、『責任を持て!』って叱られたけど、本当に全部自分だけのせいなのかな?」
今回の対話は、そんな疑問を出発点に「責任」という言葉はそもそも何なのかを掘り下げてみました。
フワちゃんの炎上事件や日々の仕事シーンを例に見えてきたのは、「責任」って、意外と実体のない“虚構”なんじゃないか?という話。でもだからといって要らないかといえば、社会を回すうえではどうしても必要――この二面性がめちゃくちゃ面白いところかもしれません。
※この記事は、日米のIT業界で働く友人同士で対話したポッドキャストの内容を元に文章化しています。実際の音声へのリンクは最後に掲載しておきます。
フワちゃん炎上事件と“断罪”される構図
フワちゃんの炎上が気になった理由
破天荒キャラで人気のフワちゃんが、ツイートの失言一つで猛烈なバッシングを受け、CMや番組から降板――まるで“一気に断罪されてしまう”ような流れでした。
過去の活動までもすべて否定されるみたいな扱い
「あの破天荒キャラはもう許されない」と手のひら返し
外から見ると、いわば「炎上世論がフワちゃんを罰した」ようにも映りますが、実際は各企業や視聴者の“小さな動き”が積み重なって生じた結果とも言える。誰が裁判官なのかは曖昧だけど、「責任を取らせる」流れは成立してしまう。
ポイント
現代社会の炎上では、「自由意志があるから本人が悪い」という暗黙の前提が強く働き、一極集中で個人を責め立てる傾向が見られる。そしてその結果、本人が社会的に“処刑”されたかのような状態に陥る。
仕事の現場で「責任をもて!」と怒ってしまった話
約束を破られ、怒り爆発
「資料を期限までに仕上げる」と言っていた同僚がやっていない→客先にも迷惑がかかる→つい「なんでやってないんだよ!もっと責任を持て!」と叱ってしまった。仕事ではありがちなエピソード。
でも“責任”って何?
後で聞いたら、PCの不具合など予測不能な要因もあったらしい。本当に全部その人の落ち度なのか? 実は部分的にコントロール不可能な面もあったかもしれない。「責任を持て!」という叱り方はどこまで合理的なのか、改めて考えると疑問が湧いてきます。
それでも“社会を回す”ために必要
とはいえ、職場では「あなたが担当」「やれなかったら罰を受ける」みたいなルールづくりがなければ、誰も動きにくい。責任という概念がないと組織やプロジェクトが成り立ちにくいのも事実。
ポイント
「責任を持つ」と言うけど、実はそれも “みんなの暗黙の合意のもと引いた白線”に過ぎない
その線を越えたら罰を与えることで秩序を維持する――社会の多くの仕組みがそうなっている
「責任」は本当に虚構? それでも必要な理由
自由意志とセットで成り立つ“責任”
近代の人権思想や法律では、「人には自由に判断する意志がある」という前提を置いている。そこから「行為の結果はその個人が負うべき」→責任という構図ができあがる。
罰がないとルールが確立しない
「やらなかったらどうなる?」「破ったらペナルティは?」が決まっていないと、ルールは形骸化しがち。責任を明示して“罰”を用意することで実効性が保たれる。これが社会秩序を維持する基本メカニズムと言えます。
行き過ぎると暴走する
一方、「ちょっとのミスで全人生を否定する」「一度の失言で一生許さない」という過激な断罪は、本来の秩序維持を越えてしまい、個人を追い詰める暴走になりかねない。バランスが大事、というわけです。
ポイント
責任が完全にない世界は混乱する。でも過剰な責任追及は人を壊す。結局、責任という虚構を“ちょうどいい塩梅”で活用するのが大人の社会かもしれない。
虚構だとわかっても、社会で生きるには受け入れる
お金も契約も“虚構”…でも使えるルール
「責任」だけじゃなく、「お金」「善悪」「人気」といった概念も、物理的な根拠はなく、人間が合意してそう扱っている“社会的虚構”。でも、それらがあるおかげで人々の行動がスムーズになり、社会も機能している。
苦しくなったら抜け道を考える
もし“責任”というルールで自分が追い詰められすぎたら、「このルール自体は虚構なのでは?」と気づき、別の共同体や別の仕組みに移る選択肢を検討してもいい。
たとえば会社を辞める、転職する、フリーランスになる、いろんな可能性がありますよね。ルールが絶対ではなく“仮の取り決め”に過ぎないと考えるだけで心が楽になることもある。
職場でも“責任の線引き”を更新してみる
「守れなかったら激怒」ではなく、そもそもの約束やペナルティの設定を見直すことはできないか? 対話を通じて合意範囲を調整すれば、“怒る/怒られる”の悪循環を減らせるかもしれない。
ポイント
責任を前提にいろんな仕組みが組み立てられている
でも追いつめられたら、「ルールを変える」か「そこから抜ける」か、どこかに逃げ道がある
おわりに
「責任」って何なの?――一言で言えば、社会秩序を保つための“仮の約束”に過ぎないのかもしれません。人間が「あなたはこうするべき、ダメならあなたが罰を受ける」と決めているだけ。物理的な必然性があるわけではなく、“虚構”と言えば虚構です。
でも、その虚構があるからこそ、仕事でも炎上騒動でも、問題が起こったときに「誰かの責任」として処理できる。そこに一定の合理性がある。一方で、行き過ぎた断罪はただのリンチに近いし、やむを得ない外的要因をすっ飛ばして個人を全否定するのは酷かもしれない。
結局、「責任」という虚構を“どの程度”採用するかが、社会やコミュニティでのバランスになる。そこに行き過ぎや歪みが生じれば、誰かが破綻し、一方的に炎上する。だからこそ、「そんなに追い詰めなくてもいいのでは?」と虚構だと自覚することが大事なのかもしれません。
僕たちが“責任”というルールを使いこなすのか、それとも振り回されて苦しむのかは、自分や周りがどれだけメタに捉えられるか次第。「あ、これも所詮は人間が決めたルールだな」と思えるだけで、少し心がラクになること、ありませんか?
フワちゃんが炎上で責任を負わされたとき、仕事で「責任を持て」と叱られたとき――その背後には、こうした“ルール”や“虚構”の働きがあると理解しておくと、ほんの少し冷静に対処できるかもしれませんよ。
こちらの記事の、元となった対話音声はこちら↓
白米FMとは?
日米のIT業界で働く小学校からの友人2人が、最新トレンドから古の哲学思想まで気ままに語り合う人文知系雑談ラジオ。
コテンラジオ、超相対性理論、a scope等に影響を受け、一緒に考えたくなるような「問い」と、台本のない即興性の中で着地点の読めない展開が推しポイントです。
移り変わりの速い時代だからこそ、あえて立ち止まり疑ってみたい人。
他者の視点や経験を通して、物事に新しい意味づけや解釈を与えてみたい人。
自分の認知や行動を書き換えて、より良く生きる方法を一緒に探求しましょう。
※ポッドキャストの文字起こし版へのリンクはこちら(LISTEN)