地方創生という言葉への違和感を考える
高畠町に住み始めてから早いものでもうすぐ6年になる。つまりは熱中小学校のスタッフとして旧時沢小学校にほぼ毎日のように通う生活も間もなく6年目になり、もうすぐこの学校の生徒だった地元の人より通っている事になるなぁなんて思い始めながらも、引き続き学校を拠点に町づくりについてあれこれと考えている。
6年も地域いると、この地に滞在する人、引き続き住み始める人、出て行く人と多く見て来た。そんな中で一番最初にここに訪れた時思っていた「地域活性化」という発想はカンフル剤を与えるようなものでしかないのかもしれないと、最近は思うようになってきた。元気な方がいいじゃないかと言われればまぁその通りなのだけれど、訪れる前に想像していたより地域には元気な人が多いし、地域の問題は地域のみんなで解決している事も多い、「じゃ何が問題なのだろう?」、「ないものねだりをしているだけではないか?」とそんな風にも感じる事が増えた。そんなこんなで最近は「地方創生」という言葉への違和感を感じる事が多い。この違和感の正体と地域に住む人は未来に何を思うべきなのかを考えてみる。
地方創生に込められた意味とその主体
「人口一極集中の是正、都市問題の解決」地方創生というワードに込められている一番のポイントはこの部分のように思う。上記のテーマの主体は「都市に住んでいる人」となる。これは未開の惑星を人類の住みやすい環境に変える「テラフォーミング」的な発想なのではないかと思うようになった。人口が増えすぎた結果都市が住みにくくなったとか、今後都市が何かの拍子に人間が住めない程荒廃やパニックを起こしてしまう事を考え、人類の生存領域を広げておく。現在の日本の都市と田舎の関係にもこういう事が言えるように思える。その前提でいくとやっぱり土着の生態系との反発がある事は必ず想定しなくてはならない。少しずつよそものから地元の人間の感覚になってきたからこその違和感かもしれない。日本国内同じ文化圏のようでいてやっぱり少しずつ異なる。未来の暮らしはその土地土地に根を張って生きてる人が未来をちゃんと想像して決めるべきで、よそから来た人に突然すべてを任せたってうまくいかないという事はよく感じる事だ。あと「地方」という言葉もよく考えると「中央」に呼応する発想なのかもしれないなと思ったりもする。
では地域には問題はないのか?
正直これは地域によって様々というしかない、強いて言うなら「消失間近な限界集落」は「都市の一極集中のリスク」に呼応する言葉のように思う。ただし両者は実は全く別の問題であり、そこに対するアプローチも本当は別にある気がする。しかしながらこの2つの問題を地方創生という言葉で混同しがちである。どうしようもなく困っている地域はなりふり構わずヘルプを出すし、ヘルプと聞けば人助けかビジネスチャンスと都市から人が来る。お互い都合のいいテーマなのだけれど、本当の目的を見失いがちだ。そんなこんなでうまくいったと評されることもあればうまくいかなかったと評されることもある。
地域での人の暮らしや流れを見ていると良い土地や良い環境そして良い人には後継者がいて自然と未来に繋がっている、少なくとも今住んでいる所は人の数は減り、管理できる土地も減るのは目に見えるが、次世代の人も暮らして育っており緊急の課題には感じられない。生態系としては淘汰圧に対して自然に適応しているのではないかと感じるくらいだ。人口推移に沿って地域社会の構造も適応していくのは望ましい変化のように思う。
ただ違うアプローチをすると、ほとんどの地方自治体は国から与えられる地方交付税交付金をあてにして公共施設やサービス、インフラの維持を行っている。(税制システム上仕方がない部分は大きいが)お金の管理を日本国全体で行っている以上、「都市の問題は都市で何とかしてね。」「地域の問題は地域で解決しようね。」とそう単純でもない。
色々な地域の問題について
地域には様々な問題はある事にはあるけど、地域の人自体も必要としていないし、減少傾向にある日本人全体としてもあまり必要でないし持ちきれないから捨てるという選択が必要な事も多いように思う。どうしようも無く修復不可能な地域の課題の背景には色んな問題をうやむやにしたり、闇に葬ったままで進んできてしまったという事も実際には多いのではないだろうか。耕作放棄地や空き家問題は地域に普遍的にあるにはあるが、放棄されるのはやっぱり条件の悪い土地が中心であり、条件のいい土地はあっさりそのまま引き継がれる事も多い。もったいないと思いつつも、しょうがないよなぁと部分も多々ある。世のトレンドが変わって食料が何より大事でみんなが欲しいとなれば、打ち捨てられた土地でもこぞって開墾するだろうし、空き地の近くの家も価値が上がる。トレンドの変化を促すのも大事だと思う一方で、みんな好き勝手に生きててもいいじゃんと思うのもある。工業機械が発達している現代においてみんながそちらに向いたら、耕作放棄地の再生なんて結構簡単に進む気がする。そんな事を考えるとやっぱり無理して耕作放棄地を再生する意味もあんまり問題はないのかもしれないとも思う。じゃどうなったら地域の人が困るかと考えてみる。医療や道路、水道や通信のインフラが使えなくなったら困る、税金が増えすぎても困る。そう考えた時地域問題と都市問題というのはやっぱり地続きの話なのだろうとそう思う。
町づくりと公共施設やインフラ
町づくりという意味で一番見晴らしのいいポジションはやっぱり役所という事になるだろう。しかし役所には「中央」と「地方」という主従関係の様なものはやっぱり根底の仕組みが残ってるように思う、小さな町や村であるほど財源は国からの「地方交付税交付金」の比率が高く、町や村の役人的には一番わかりやすく地域にお金を落とす方法は「中央」から予算を取ってくる事だ。少し前で言えば企業誘致だったかもしれない。となると「中央」の都合で事が進みやすく、元々住んでる人は置いてきぼりだったりもする。そして大抵が小さな町や村にとってオーバースペックな企画で理解しきれないように思う。それがいいか悪いかという話はここでは触れないが、そういう流れが旧態依然として残っている事があるという事は頭に入れておきたい。
じゃあどんな言葉が適当なのか?
では地域から見た「地方創生」に代わる言葉としては、どんなものがふさわしいのだろうか考えてみる。消滅がもう目の前に迫っている訳では無いほとんどの地方自治体にとっては、都市とより良い関係を築こうとする発想で「地方共創」という言葉の方がいいかもしれない。ただしそんなに改めて都市と関わりを強化せずとも、地域の問題は組織や地域自治のあり方をアップデートする程度で解決できる問題の方が多い気がする。前の状態をアップデートする「更新」の方がしっくりくる。もう少しポジティブな発想にすると地域で大事にしたいものをリニューアルしたり、まだまだ有効活用できそうな資源を継いでもらう「継承」という事の方がまずやっていく事なのではないだろうか。また地方に代わる言葉だけれど地域の方がまだフェアなように思える。
では地方創生という発想はいらないのか?
未来の生き方を創っていく必要が大いにあると思う。現代社会にある物質や知恵や発想、トレンドというのは昔と大きく変わってしまっている。衣食住事足りて、みんな好き好んで都市に集まって、最高の暮らしを創ろうとして今に至るが、それが行き過ぎて一極集中という問題を起こしている。そんな中現代社会の粋を集めて、「都市を超えるなにか」として多くの人を引き付ける存在を地域に創り出そうとする「創生」というのは大事な考え方のように思う。ただし「少子化、高齢化、人口減」という分かりきったトレンドの中にとって「創生」というのはきっと特異点を作るような話であり、失敗する前提であらゆる取り組みを回し続けアップデートを重ね続けないといけない様に思う。だから失敗前提で「地方創生」を都市と一緒に創っていくんだという気概があるなら取り組むべきだけれど、そうでないなら別の発想にリソース配分を割いた方がよいかもしれない。というか地域に住むほとんどの人にとっては好き好んで地域に住んでいて、日々楽しく暮らせるように工夫している。別にあえて失敗前提の取り組みで暮らしをアップデートする必要は少ない。
「地方創生」はあるかないかもわからない「都市を超えるなにか」を探し続けるような事であるように思う。それは一般的にみんながやるべき事というよりは、変わり者がやり続けていていつか見つけるかもしれないから応援しようという捉え方がいいだろう。そしてそこに対するリソースは地域じゃなくてなるべく都市の方から出てくるべきだ。ただし都市も地域も本来地続きなので、志を共にする奴らがやっていくのがいいだろう。それは場であり、思想であり、生き様あるいはその集合体かもしれないが、きっとまだこの世に誕生していない何かを作る事を目指していかなくてはならないように思う。もしそれが具現化したとしたらトレンドが一気に傾いて都市問題が一気に解決するかもしれない、そうでないなら何か大きな災害や不幸な出来事被る事になって初めて今の都市問題の解決に向けた変化をすることになるだろう。「地方創生」という言葉には夢も希望もあるとてもいい言葉だと個人的にはそんな風に思っているが、そこに込められた性質を地域に住む人にこそしっかり捉えて考えていくべきだとそんな風に思う。
ただし東日本大震災や新型コロナウイルスの感染拡大を経てもやっぱり欲望のままに都市にいる事を選択する場合も多いように思う。一々壮大な計画を元に一挙に問題を解決しようとせず、問題を切り分けて一つずつ時間をかけて解決していく事こそが本当は必要なのかもしれない。
「地方創生」に対する代案 まとめ
「地域共創」→住む場所を問わず地域を一緒に創って共有する
「地域更新」→地域を守るコミュニティや土地の所有等のあり方を見直す
「地域継承」→様々な問題があり受け継がれなかった地域の資産を継承する
やっぱり地域目線で考えると必要なのはこういう事のように思える。郷土愛の少ない地域の場合、思い切って地域丸ごと任せたり売りに出す「地域提供」というのも一つ手なのかもしれない。まとめてみて思ったのだけれど、これを一つ一つ掘り下げていくとかなり広範な思索が出来そうである。気が向いたらこれの続きも書いてみようかな。
なんだかんだでこういう話をいろんな人とやってみたい
自分の中で考えてるのは好きなんだけど、やっぱり色んな人の意見とか感想とか評価とか欲しいな~とは思うところで、話相手になってくれる人募集中です。あと最近豪雪で毎日めちゃくちゃ寒くて除雪が大変なんだけど、地域で生きるのって過酷なとこあるなって感じてて、都市とはストレスの質が違うだけなのかもなぁなんて思ったり。みんながひきつけられる理想の暮らしって何だろうねといつも考えたりしてます。
↓続き書きました。