兵庫県知事等のパワハラ、そしてそれを源として元局長が自殺した事件といい、鹿児島県警本部長の不正見逃し、そして逮捕された部長の事件といい、これら正義にもとる権力を持つ者が絡んだ事件。
権力に戦うべく勇敢に立ち上がった被権力者が、正義、司法、行政、マスメディアに守られなかった事件。
これらはたまたま起こった事件ということではなくて、多くの日常の中からたまたま顕在化した事件であるといった印象を持つ。
安倍総理はよく北朝鮮等を非難する中でruleoflawを口にしていたが、日本はそのruleoflawを国内においても実現できていない。
権力にかさをきる人間と、権力に媚びる卑怯な"正義に敏感ではない"人間が多く住むといった印象が強い。
自分の社会人として年月を経た後の強い印象。
先の都知事選における組織票の幅の利かせ方を見ても、そういうことだろうと思う。
若い方々の投票率が伸びても、このような"文化"が変わらなければ、さしてその結果は変わらないだろう。
権力の濫用には常に警戒を怠ってはいけないんだろう。
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◯法の支配(ruleoflaw)の原理は、治者も被治者も均しく法に従うべきであるとし、とくに権力の座にある者がその権力を濫用することを強く戒め、そのことにたいする予防措置の必要性を強調する。
立法部も司法部も裁量権を行使することはジェニングスの言う通りであるが、にもかかわらず法の支配に関してイギリスで主として行政権の濫用の抑制が問題とされたのは、行政権が最も濫用され易いという事実を基盤としたものである。
そして、アメリカのように、独立にいたる一連の本国との抗争の中で立法権の濫用もまた行政権の濫用と同様に警戒されるべきだという考えが広くもたれると、違憲立法審査制が産み出されることになるのである。
(田中英夫 英米法のことば)