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1年8ヶ月ぶりに会った父親が下半身不随になっていた

はじめに

タイトルの通り、1年8ヶ月ぶりに父親に会ったら下半身不随になっていて、その現実が受け入れきれなくて、思いのままに書きました。久しぶりの再会だけではなくて、私は父親という存在や親が離婚していることが嫌で、ひたすら父に関わる嫌な気持ちをぶつけてしましました。
嫌なのではっきりと離婚しているとか書くことができず回りくどい表現が多いです。読みにくくてすみません。
私の父、家族の話です。マイナスなことばかり書いたので嫌な思いをされたらすみません。

2023年10月28日、1年8ヶ月ぶりに父親に会った。
1年8ヶ月の間、会えてなくて寂しいと思ったことも父親の姿を思い出すことも一度もなかった。今は父とのことを振り返ってばかり。

私と父

私は物心ついた時から家族のことで劣等感をもっていた。私の生活には父親はいなかった。学校便りの親の名が、みんなは男の人の名前なのに、私は誰が見てもお母さんと分かる「子」がつく名前。

国語の授業で親の名前を書いてみようとなった時、「寛」という字が分からず先生に尋ねた時、「ひろし?」と聞かれ「ひろこです」と答えたときの先生の気まずそうな顔は忘れられない。

面接練習で「両親との思い出は?」と資料には書いてあるのに、担任の先生がわざわざ「母親との思い出は?」と言い換えた時の、なんとも言えないクラスの空気も忘れられない。

みんな私に気を遣って、同情しているとずっと感じてきた。だからあえて自分の家庭の事情を友達に話すことはなかった。
だから今日、父親が下半身不随という事実を知っても、どう抱えていいか分からなくても、誰にも話すことができなくて、noteに書くことを決めた。気持ちの処理が追いつかない。

私の記憶には、母方の家での田舎暮らししかなく、父親と都会暮らしをしていたことは写真の記憶だけ。
大学進学を機に父親のいる都会へ出てきた。田舎には安心できる実家があり、何かあれ助けてくれる父親も近くにいる都会での一人暮らし。人生で一番家族といい距離感だった大学生活の3年9ヶ月。

もともと近くに父親がいるにも関わらず一人暮らしをしていることが贅沢とのことで、大学4回生になり通学する頻度も減ったため、4回生の1月から就職するまでの4月まで、父親と、同じく都会にいる叔母の家で暮らすことになった。これが悲劇の始まり。


今まで父親と暮らしたことがなかった私には、父親の部屋の汚さや晩酌のある生活リズム、鳴り続けるアラーム、、全てがストレスだった。

一緒に生活を始めて3日目
父親と距離を取りたいと思ったときに、濃厚接触者になったことが判明し、あと1週間も父親との生活を強いられた。

幸い感染しておらず、もっとひどくなったであろう事態は免れたが、、

あまりにもの長い父親との生活に耐えきれず「大学卒業したら縁を切る」と言った。言ってしまった。(正確には面と向かっては言ってないけど、父親のいる家で母親との電話中に言った。)


お酒が入ってからしかまともなことを言えない父親が嫌だった。

遅くまで酒を飲んでダラダラと生活をする父親が嫌だった。

タバコをやめると言いながらやめない父親が嫌だった。

タバコに週5000円もかける父親が嫌だった。(そんなお金あるなら私にお小遣いとして頂戴と思っていた)

ガラクタで溢れかえった、タバコの匂いがしみついた部屋が嫌だった。

まともに父親らしいことをしてこなかったくせに成人式の振袖に張り切る父親が嫌だった。(振袖じゃなくてそのお金を頂戴と思っていた)

クラスのみんなは父親はいないものと思っているのに、急に授業参観にくるし、登校班で帰るのに、車で一緒に帰ったらいいやんと何も知らずに言う父親が嫌だった。

そしてだらしない父親と結婚した母親にうんざりした。

汚い父親の部屋で久しぶりにオンライン授業を受けるのが嫌で、数週間生活をさせてもらったお礼も何も言わず、始発の電車で叔母の家へ向った。

オンラインでうつる背景を綺麗に見せたい見栄っ張りな私も嫌だ。

それでも2週間後に卒業式の袴を一緒に見にいく約束をしていたから、今はむかついているけど、一旦距離をとればいつも通りに戻ると思っていた。一般的な家庭よりは父親と接することが少なかったけど、親子だから、少しの喧嘩やひどい言葉で縁が切れるなんて思わなかった。縁切るって言ったけど、親子だから切れるものじゃないと思っていた。分かっていながら言っただけ。


数日にわたって何度も同じ病院から電話がかかってくる。


袴を見に行く約束の前日なのに返信が返ってこない。イライラがとまらん。


間違い電話と思っていたが、何度もかかってくる。


電話に出てみた。

「◯◯さんの娘さんですか?お父様が転落され現在入院中です。予定には行けない、弟さんのことはお母さんに頼んでとのことです。転落された際に携帯を無くされたみたいで代わりに連絡してほしいとのことで・・・」


は?なにそれ?どういうこと?

何が何だか分からなかった。信じられなかった。
とりあえず生きているみたいだけど、どういう状況か全く理解できない。

そんなことよりも、弟の電気代よりも、なんで転落したのか?どんな状態なのか?不安でいっぱいになった。塩をまいといた。


またある日。
「携帯探しと保険の関係で振り込みをしてほしいとのことで今日病院へ来れないかとお父様が・・」

図々しい父親!!!

またお金関係でだらしない一面。最悪。

1ヶ月ぶりに父親の家へ行き、自分の荷物を全て撤収。
どうせすぐ帰ってくるだろう、掃除する義理もないとゴミ捨てもせず、家を去った。
(一番最悪、大の後悔。約2年も誰も入っていない家になってしまった。踏み入れる勇気が出ない。恐ろしすぎる・・・)

長女とはいえ私一人で対応するのが嫌で、弟と家の中、マンションの管理室、警察署を訪れ、なんとか携帯を受け取った。
なんでこんなことになっているのか、さらに理解できなくなった。

特別寒い日で、いっぱい歩かされ、
弟「これ以上の親孝行ないわ」
私「ほんまそれな」

携帯を届けたにも関わらず「ありがとう」もこないし、何を送っても返信が返ってこない。

どういうつもり??????

どんな状態か知らんけど、また父親にうんざりした。

あまりにも連絡がつかないから病院へ問い合わせたけど、答えられないの一点張り。

今どんな状態で、どこで何をしているのか、何も分からなかった。
戸籍上ではもう親子ではない娘と息子に大変な思いをさせて、こちらからの連絡に返答しないなんて父親としておわっていると思った。
私にとっては世界一情けない父親。


音信不通のまま、2022年の12月を迎えた。

今日は、父親方のおばあちゃんの誕生日。

ばあちゃんからも「お父さんはどうしてるの?何も連絡ない?」と心配を聞かされ「私も分からない。」しか返すことができなくて、申し訳なさに連絡をとりにくくなっていた。
帰ったらお盆以降連絡を取れなくてごめんねと連絡しようと思い仕事をしていた。

父親からメッセージがきた。
「ばあちゃん、先月亡くなった。納骨も終わったしまたお墓に行ってあげて」

は?????????????

娘息子の誕生日にも連絡ないし
やっと連絡がきたかと思ったらこんな悲しいことある?
なんで大事なことを連絡してこない?

電話がつながって久しぶりに父親と話せた。
リハビリの病院へ転院し、まだ入院しているとのこと。

泣けてきた。

約1年もの間、音信不通で、もうどうにでもなってろと思っていたけど
生きていること、話せることが分かり安心した。泣けた。
どれだけ最低と思っていても、父親なことには変わりなくて、私にとっては大切だと実感した。


父親と連絡が取れる日々になった。

定期的にお金が振り込まれたり、お墓参りに行ってくれと言われたり、
クシと爪切りを買って届けてくれと頼まれたり、、、

ものを届けることはできたけど面会はさせてもらえなかったけど、

2023年10月28日お見舞いに行けることになった。

母には言わず、弟と2人で病院へ行った。

ベットへ案内されカーテンから覗くと
一瞬誰か分からなかった、お父さんだと思えなかった。

自力で起き上がることはできなくてリクライニングで目線を合わせる。

痩せ切った姿、痩せたからか目の圧をより感じた
手入れされていないのびた髪の毛とふけ
骨がくっきりわかる腕
内蔵全部つまってるんかと思うような線の細さ
なかなか思うように動かせない腕と指
長身なことが分からない寝たきりの姿
ベットの横には尿が溜まっていた


思っていたよりもだった
こんなことになっていたんだ
前とは全然違う

姿は全然違うのに話すことは変わらない

「生活はできとるんか。仕事は辞めてないか。女の子なんやし服や化粧品やお金かかるやろ。一人暮らしだったらお金足りんやろ。なんかあったらいいや。引っ越し考えてるし一緒に住むこともできるし。」

「また太ったんか、痩せな。焼肉屋のバイトはどうや?給料足りてるか?留学は行かんでええんか。まだゲームが好きなんか。誕生日欲しいもん言いや。」

「お母さんは一緒?どうしとる。向こうはみんな元気か。お母さんが反対するならせんでええからな。」

変わらないけど

「お父さんは元気ではないな。でもいつでも退院できるし、仕事もオンラインとかで復帰しようと思っとる。お金もな、入院費と家賃だけで使うことないし余ってる。だから頼ってな。」

「退院しても下が動かんから車椅子生活で、ヘルパーさんに来てもらわなあかんわ。1階かエレベーターあるとこしか難しいな。生活も大変やからほんまは助けて欲しいけど・・」

「引越しの時は手伝ってな。お父さんを3階まで担いで」

「ちゃんといらんもんは捨てるよ。ばあちゃんの荷物が多いねん。あと、雛人形がある。ばあちゃんから預かってたけど渡せてなくて・・」

「ばあちゃんのお墓参りまた行ったげてな。なかなか行けんから除草剤巻いて、寂しくないように造花でも飾っといて。」

「親不孝だでな」

「怪我してから涙もろくなって、、」


お父さんが泣いてる姿はじめてみた。

どうなったのか、生きてるかも分からないまま亡くなったばあちゃん。
いっぱい心配かけて、ほんま親不孝って思ってたけど
そりゃ自分が一番分かってるよな。

雛人形があるなんてはじめて知った。絶対今までに渡すタイミングあったやろ。

連絡くれないこと腹立ってたけど
迷惑かけたくない、見せたくない、会いたくない、色々思ったんだろうな。

ほんまに退院できるのか、仕事に復帰できるのか、と思ったけど
安心させるための言葉なんだろうな。見栄っ張り。

自分が一番大変な状態なのに、私らのお金のことばかり心配する。
今までここぞとばかりに高い誕生日プレゼントねだってごめんなさい。


帰り道

私「今まで家族で嫌だったことある?」
弟「別に」

私「私はお父さんがおらんこと、離婚しとることが嫌だった」
弟「お母さんが母子家庭だからってお金ないっていう時は知らんやんって思ってた」

弟「引越しの手伝い嫌だで。お父さん担げん。」
私「2人で仕分けしよ。」

弟と久しぶりにしっかり話した。
親のおかげでさらに仲良くなった気がする。


お父さんに久しぶりに会うまで、
迷惑かけて心配かけて、世界一情けない父親
こんなお父さんと結婚したお母さんも信じられん。
離婚するなら子供なんて産むなよ
なんで産んだ?

お父さんに対しても、ずっと育ててくれたお母さんに対しても不信感でいっぱいだった。

唯一感謝できることは弟を産んでくれたこと。1人じゃなくてよかった。


まだ23歳(もうすぐ24歳)なのに親の介護をせなあかんなんて、親不孝どころじゃない、子不幸。


これから

会って気持ちの整理がつかんと思って書き始めて数日。

自分のことだけじゃなくてお父さんの気持ちも考えるようになった。

きっと全く連絡をしなかった期間は私たちにもう会わないって思ってたんだろうな。
自分の状態に一番自分が悲しかったんだろうな。
自分のことを話せたり私たちに会おうと思えたのは、周りの人が優しくサポートしてくれて前向きな言葉をかけてくれたんだろうな。ありがたい。
変わらず私らの父親でいようとする気持ちは尊重してあげたい。
今まではお酒飲む・タバコ吸うのが嫌だったけど、1年8ヶ月の入院生活で禁酒・禁煙できたから私の嫌なお父さんじゃなくなっていると気づいた。

前のお父さんの姿を思い出すことが増えた。

駅で待ち合わせすること、一緒に歩くこと、座敷でご飯を食べること、一緒にお酒を飲むこと、饒舌に話すこと、天井の低さにかがむこと、休みの日だというのに仕事の電話に出る姿、スーツを着ている姿、、

当たり前だと思っていたけど当たり前じゃなくなった

もう見れないのか。

寝る前につい思い出してしまう。

あれだけ嫌いだったのに、寂しい気持ちが芽生えてきた。

年内には引越しを完了すると言ってたけどどうなるんだろう。
そのためには私はあと2ヶ月で車椅子介護をマスターしなければいけない。

受け入れきれないと思っていたけど、この数日間、今まで通り友達と遊んで、お酒飲んで、美味しいご飯食べて、仕事して、落ち着いてきた。

「親とメンバーは選べない」村上くんの言葉改めて沁みる。(関ジャニ∞から大切なことは学んできた。)
この親から生まれてきた意味、やるしかないか。

これからどんな生活になるのか分からないけど
今まで以上に明日からも頑張っちゃお!!!!!!!!!!!!

誠也の嫁になりたい!!!!!!(ガチ恋)

最後に

長くなりました。ここまで読んでくださる方がいらっしゃれば、ありがとうございます。主観的になったりと文章がめちゃくちゃなのは想像つきます。直さなくてすみません。タイトルに下半身不随と書きましたが、症状名は歩けない、下半身が動かないと言っていたことから推測しただけです。本当のことは分かりません。

会ってすぐの気持ちは別のところで殴り書いていたのでその一部をおまけぐらいで添付します。よければどうぞ。醜い私です。殴り書いてnoteにしようという結論に至りました。

かぞかぞとは錦戸亮ちゃんが出ていた「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」というドラマです。かぞかぞを見ていてよかった。りょうちゃんのファンでよかった。
末澤誠也くんガチ恋なのです。。誠也の嫁か誠也以外の嫁なら誠也が良い。
たっちゃんは母の現在の彼氏です。そのせいで母とどういう距離で接したらいいんか分からん。
もう離婚して他人な母にはまだ話せてない。悩みどころ。


もし関西圏で車椅子介護が学べるなんてところや親の介護に立ち向かう姿勢・受け入れられる心を身につけられるところとかをご存知の方がいらっしゃれば教えていただきたいです。
(今のままだと1日で嫌になります。無理になります。またひどいことを言う自信があります。学ぶ気持ちはあります!)

そして、もし読まれて嫌な気持ちになられた方がいたらすみません。ひどい娘な自覚はしています。でも親がまっすぐな子に育つようにとつけてくれた自分の名前が好きで、自分が感じた感情には素直に生きたいなと思ったので思ったことそのまま書き出しました。わがままですみません。

そして、自分にとって嫌なことマイナスなことを話さない私が、一番マイナスに思うことを曝け出したので、もし身近な人が見たらそっとしておいてください。それか優しい言葉をお願いします。今は笑い話にできる余裕はありません。

少しでも良い家族になれますように。なります。


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