タイトル未定
自分が誰かに話す言葉。実は、自分に言い聞かせているのではないだろうかとふと考える。
夢を口にすることは難しい。なぜなら、その夢を実現することは難しいからだ。誰だって、その夢が実現しなかったり、結局全く違うことをしていたら、なんだかそれ自体恥ずかしいと感じてしまう。けれど、それを口に出して自分はこうなりたいと明言できることは本当に素晴らしいことだと思う。まして、それが俳優だったり、芸人だったり、音楽だったりするとなおさらだ。なぜなら、それは自分にとっては、とても想像のつかない世界ではある一方で、その世界で生活ができるようになるまではとても険しく難しい世界であるということは漠然と分かるからだ。
俺は、こうなりたいと夢を語る友がいる。それは、とても大きな夢で一見すると現実味がないようにも感じる。けれど、その夢はとても面白く、魅力的でまさに夢がある。そしてなにより、その夢を追いかける覚悟がある。
そんな夢があると語る友の前で、自分が本当にやりたいことってなんなんだろうかと考える。お金を稼ぐことなのか、自由な生活を送ることなのか、幸せな家庭を築くことなのだろうか。はたまたそのすべてなのだろうか。
彼を知らない人からすれば、そんな馬鹿な夢を追いかけずに、せっかく大学まで出たのだからもっと堅実に生きるべきだとか、どうせうまくいかないとか否定的な言葉で彼を評価するだろう。
けれど、そんな評価をする人間は、その挑戦をしたことがない人が安全な外野でわめいているだけであって、まったくもって耳を貸す必要はない。
それに、その夢がうまくいくかどうかなんて誰も分からない。自分に才能があるとか、ないとか、そんなことやってみないと分からないことだ。それに、それらの多くは時間をかけないとなかなか見えてはこない。時間をかけてやったけど、自分にはその才能ではなくて、こっちの才能があったとか、これがやりたくて始めたが、本当はこっちの方がやりたくなった。そんなことの方が大半だろう。
人生何事もやってみないと分からないことだらけなのだ。そしてやった結果、見えてくることが絶対にあって、結果的に、始めとは全く違う夢ができたり、それを追いかけたりする。それでいいのではないか。けれど、口にした夢が実現しないと、また外野は、「予想通り。」,「始めから無理だったんだよ。」と騒ぎ立てるだろう。けれど、自分はそんな外野にはなりたくない。そんなことが言える人はきっと本気で目標に向かって努力をしたことがないから言えるのではないか。きっと同じような挑戦や失敗をしたことがある人は口が裂けても挑戦する人のことを馬鹿にしたりはしない。
自分はまだ何かに挑戦したとは言い難いし、人に話せるほどの大きな夢もない。けれど、挑戦することを決めた人に「無理だ」、「無謀だ」と非難する大人にだけはなりたくない。
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