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羽幌炭礦鉄道(1524 札証)と額面株式と株式分割の歴史をちょっとだけ

今日も調べ物の備忘録的な昔話です。

株式の額面が無額面になったのは2001(平成13)年の商法改正で、この改正はもう20年以上前の話ですし知らない方もそこそこ多いんじゃないかと思いますが、それ以前は株式には20円/50円/500円/50,000円の額面がありました。
額面があったことで、ネットバブルの頃には「50円額面のソフトバンクに18万円の株価はおかしい」とかいう頓珍漢なクレームを頂戴したこともありましたし、NTTの分離分割の際には分離子会社の資本的独立の議論に対するNTT側の反論の一部に「長距離部門を独立させるには資本が小さいので1株5万円だと株数が少なすぎて上場させられない」だったか、そんな反対理由も挙げられていた記憶もあり、額面にまつわる議論というのもそこそこあったものです。
# 実際にはNTTコムはずっと持株の100%子会社だったのでそんな議論はどうでもよくなってどんな議論だったかあまりよく覚えてないのですが

また、一昨年に北海道ちほく高原鉄道ネタで同人誌を書いた際にも、額面50,000円であることを用いて発行済株式数と各株主の保有株数なんかを算定したりしてまして、額面がわかっている前提で、資本金がわかれば株数を算出できるし株数がわかれば資本金が算出できる、という点ではこうして昔の会社の財務状況について断片的な情報しかない場合には有効な知識ではあります。
それはそうとして私の同人誌、まだ買ってない方は是非、と宣伝しておきます。買ってね。→ 冊子版 / PDF版

さて、私もこんな過去のことをやる前は50円額面と500円額面と5万円額面の違いについては「若い会社は5万円で古い会社は50円、稀に500円の会社がある」くらいな認識でよくわかってなかったんですけども、この違いは結論から言えば、結局のところ、創業した頃の商法に拠ります。

額面が5万円になったのは1981(昭和56)年の商法の改正で、これ以降に設立された若い会社や大企業が新規事業のために作った子会社の多くが株式の額面が5万円だ、というのはわかりやすい感じがしますよね。特にテック系の会社の過去を分析していると子会社の株式の額面が5万円なのは良く観察されるところです。ちなみに5,000円ではなく50,000円なのはざっくり言えば単元株数や株券のコストの関係で、50円x1,000株か500円x100株なのが理由です。

で、その前はどうだったかというと、実務上は全く問題にならなかったので気にしてなかったのですが、「上場企業なのに有価証券報告書も決算データもほとんど手に入らず、株価データもちょっと手間をかけないと手に入らなくて、株価データを取得しても株数がわからないので時価総額もわからず、僅かに入手できる資本金の数字から株数を割り出して時価総額を計算する必要がある」会社というのに行き当たった段階でそういう知識が必要になってきました。
その会社とは、1961(昭和36)年から1970(昭和45)年まで札証単独上場だった証券コード1524の羽幌炭礦鉄道という会社です。まあ財務データとかはあれやこれや手を尽くしてだいぶん入手しているので資料が揃って時間ができたらまた本にしようと思ってますけど、四季報にも1期か2期だけ載ってたと思うので四季報プレミアムに加入されている方は探すと出てくると思います。

で、株数についても既に調べはついているので特に問題ではないのですけども、株数等を探している際にちょっと面白い謎を見つけておりました。
山一の『證券月報』(407),山一証券経済研究所,1982-07に『株式分割の実証的研究』という記事があり、そこに日本でのケースがまとめられている表があるのですが、その初っ端に1960(昭和35)年9月2日付で羽幌炭鉱鉄道(原文ママ)が1株を10株に分割(500円額面を50円額面)という記載があります。
羽幌炭礦鉄道の創業自体は1940(昭和15)年なので、えっ???戦前戦中なのに500円額面??そんなことある??となるのです。
そこで株式分割や併合があるなら官報等にも公告が出てるかもということで検索してみると、1952(昭和27)年1月31日の官報に10対1の株式併合を決議した旨の公告、そして1960(昭和35)年6月15日付で上記の株式分割を決議した旨の公告が出てきます。
それでこの併合と分割は一体何をやってるんですかという話になってたわけですけども、

額面株式の最低金額が500円になったのは1950(昭和25)年の商法改正で、これは上記の5万円になった時と同様に実務上の問題で、インフレを踏まえると旧商法の50円(例外として20円もアリ)だと額面小さすぎるので、新規に会社を設立する場合には額面500円でやってね、という話でした。
で、新会社設立時ならともかく、それでなんで羽幌炭礦鉄道まで株式併合してるのさ、という話になるわけですけども、見つけました。
インベストメント』36(6)(220),大阪証券取引所,1983-12に『改正商法施行後の株式分割と証券市場の評価』という記事があり、そこに

昭和25年の改正商法の施行後に設立された会社については券面額の最低額は500円と定められ、同時に戦前から存続している会社に対しても,改正商法の趣旨にそって券面額の引き上げが奨励された

とあり、おそらく羽幌炭礦鉄道はこれを真に受けて株式を併合しただろうことが推測されますよね。たぶんですけど。
で、再度分割しているわけですけど、これは同記事に500円額面だと株価高くなって割高な印象与えるから多くの会社が20円/50円額面に留まったことや、中には50円額面の休眠会社を存続会社にして合併することで50円額面にする会社すらあった、とあり、先に上げた山一の『証券月報』でも50円額面への変更が理由、とありましたし、羽幌炭礦鉄道も札証上場前は札証店頭でしたから(終戦直後から取引所再開までの青空市場の名残ですね)、出来高とかで色々あって、上場を控えて分割に踏み切っただろうことが推測されます。
# 推測はできるものの、取締役会の議事録あたりに明言された記録が残ってないとそうと断言できるわけではないのですが

というわけで、羽幌炭礦鉄道の株式分割はともかく株式併合の謎がなんとなく解けたかも、という話題でした。
(ヘッダの写真はひたちなか海浜鉄道の阿字ヶ浦駅に保存されている羽幌炭礦鉄道の車輌です)


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