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昭和レトロな喫茶店に出会えるニッポン

こんにちは、いつものマッシ(@massi3112)です。

「着物の文化」は伝統でもあり、日本の奥深い文化でもあり、外国人までその良さが伝わる。着物は時代に合わせて進化してきたおかげで、海外でも知名度が上がっている傾向にあるようだ。

僕個人的には日本の文化を体験したいなら着物や和菓子、寿司よりも、昭和レトロな喫茶店に行くことをおすすめする。ある意味、日本を満喫したいなら時間が止まった喫茶店で、日本の中でも見えない日本を発見できると感じている。

昭和レトロな喫茶店や純喫茶はカフェ=コーヒーを飲めるお店ではないと思う。僕がカフェではなく純喫茶に行くとき、それは日常生活から逃げて無人島で過ごすような気分になりたいときだ。時間が止まった空間に入って、モーニングからパスタ、スイーツまで自分の目で見ないと考えられない味と仕組みが待っている。

フルーツサンドと固めのプリン

着物文化、伝統和菓子、銭湯・温泉巡りなどは最高の体験だし日本を強く感じられる。それ以上の日本の向こう側を知りたい人にとって、喫茶店は最適な場所と言える。日本を五感で楽しめるからだ。言葉が通じなくてもやり方がわからなくても、なぜか落ち着ける。なぜか外国人も安心して楽しめる。
まったり過ごせるし、狭い席の独特な配置、ドリンクや食べ物の出し方まで日本の進化と時代をわかりやすく理解できる。現在のカフェの変化もわかる。

純喫茶はその時代に合わせて定義が変わっている。喫茶巡りをしてわかったのは、見た目は似ているけど業態やコンセプトが少し変わっているということ。

そもそもなぜ「純喫茶」という呼び方があるのかというと、「不純な喫茶」と区別したかららしい。明治時代、西洋から「カフェー」という文化が入った当初、それは文化人や上流階級の人々のサロン的な役割だった。それが関東大震災をきっかけに、カフェーは男性客が酒を楽しんだり、女給から接客サービスを受けたり、現在のキャバクラ的な業態へ変わっていったようだ。

ノスタルジックな風景。現代と違って、無線インターネットや充電はない。飾りと音楽、メニューは手で取って耳で聴いて、重なっている年月を感じる。しかも、入るために勇気が必要な時もある

梅田駅にある「ニューYC」

海外にあるものを取り入れて日本の姿に変え、日本語で書かれているメニューもあって、頼んだサンドイッチは海外にもあると思いながら、フルーツサンドは日本発祥。プリンアラモードも小倉トーストもナポリタンも海外にあるようで、ない。コーヒーもある意味、飲む時に日本人の目線になる。

30年前と比べたら減ってるようだけど、喫茶文化はなくならない。喫茶は日本人の遺伝子になっているから、進化してもリニューアルしても「侘び寂び」の部分は深くなる。

時間と命の短さは、純喫茶にいることでより強く感じられる。止まっている時間にいると、周りの空間は早く動いているのではと錯覚する。昭和時代が止まっている中で、僕が生きる令和時代は最速に進んでいく。

長く日本に住んでいて、喫茶店の扉はお店の入り口ではなく、ドラえもんの「どこでもドア」に見えてきた。外と中のギャップは言葉にできないほど時代の差を感じる。

Massi


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マッシ|エッセイスト・ライター
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