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お葬式に参列して

今日、初めてこちらで日本人の葬儀に参列しました。

故人とは直接の交流はほとんどなく、たった2回だけ電話で話したことがあるだけのご縁でしたが、その短い会話の中で、見知らぬ僕に対しても非常に丁寧に対応してくださったことが強く印象に残っています。


葬儀を通じて、故人がどれほど家族や友人、そして後輩を思いやる優しい人だったのかがよく伝わってきました。
彼の人柄がいかに多くの人に愛され、尊敬されていたのかが、スピーチやスライドショーを通して感じられました。

連絡を取ったきっかけは、友人が企画していたイベントのスポンサーを探していた際に、メルボルンで長く住んでいる方から故人の名前を教えていただいたことでした。

その方も1972年頃にメルボルンに移住された方で、故人を含む3人の日本人が同時期にこの地に移住し、共に現地での生活を築いてこられたそうです。

葬儀には、その3人のうちのもう一人の方も参列されており、話す機会がありました。その方もとても気さくで、見知らぬ僕に対しても温かく接してくださり、素晴らしい人柄を感じました。

ただ、故人とはもうお話しすることができないのが残念です。


葬儀自体は日本のものとは少し異なる雰囲気でした。

故人の奥さんがオーストラリア人であったこともあり、参列者の半分以上が現地の方々でした。

そのため、日本的な儀式というよりは、僕が今までこちらで経験したものと同じでちょうど程よい距離感のセレモニーでした。

僕は故人についてほとんど知らなかったのですが、スピーチやスライドショーを通じて、彼の人となりを少しずつ知ることができました。
彼が多くの人に愛され、影響を与えていたことが、参列者たちの温かな反応から伝わってきました。


この経験を通じて、故人が持つ最後の「仕事」について考えさせられました。


亡くなった後でも、こうして人と人とのつながりを生み出す存在であり続けること。
彼は、まるでみんなの待ち合わせ場所のような存在だったのだと思います。

僕も、いつかそんな存在になりたいと強く感じました。
死してなお、人々に新たな絆を提供できるような、そんな人生を送りたいと思いました。

これまで、日本から遠く離れた地での生活を続けてきた自分にとって、この出来事は他者とのつながりの重要性を改めて認識させるものでした。

今まで、つながりの重要性にそれほど気づいていなかったことも反省していますが、これからは新たなつながりを大切にしながら、この地で生きていこうと思った一日でした。

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