ばあちゃんの言う「おかんじょ」
スイカで顔パック
食べ終えたスイカの皮でほっぺたやら額やらを今日も撫でた。同居する祖母や叔母から教えられて子供の頃によくやったものだった。かじり終えてもまだみずみずしいスイカの皮はひんやりと涼しく、アセモの予防になっていたのかもしれない。
ふたりは、「裏」と呼んだ別棟に住んでいた。というと、邸宅にある離れのように聞こえるかもしれないが、実際には焼け野が原に建てた急ごしらえの粗末な木造平屋だった。
軒を接して立つ店舗兼用の母屋も周囲の商店もやがて建て代わったが、「裏」だけは何十年もそのまま立ち続け、上空から観察すればそこだけぽつんと残る昭和を見分けられたかもしれない。
簡素な暮らし
子供の頃のわしら兄弟は夕方になると、祖母と叔母の住む「裏」へ行った。夕食を食べ、子供番組を見終わる頃、店の用事を済ませた母親が迎えに来て、母屋へもどることになる。今から思うと、何時間かを過ごす「裏」は、時間が止まったような空間だった。
40年ほど前、結婚相手として引き合わせに行ったとき、つれあいが驚いたのは、何かをつまんで汚れた指を見て「これで拭きなさい」と叔母が差し出した紙片についてだった。
その頃すでにティッシュペーパーは普及していたが、叔母がわたしてくれたのは、ざらりとした手触りの薄緑色の粗末な包装紙だった。しかも、一枚一枚を手でもんで重ねて保存してある。簡素で節約した生活が店の奥深くの「裏」でひっそりと続いていた。
漢字で書くと
「裏」のふたりは便所のことを「おかんじょ」と呼んだ。小学校の同級生の中には「ごふじょう」と呼ぶ人もいた。漢字で書けば「御不浄」だろう。「おかんじょ」はさらに古臭いかんじがした。語意を知ることもなく、何十年も経った。
ふと思い出して「おかんじょ」をネットで調べてみた。
居酒屋で店を出る前に叫ぶ「お勘定!」がまずはヒットしたが、祖母や叔母が居酒屋通いしていた形跡はつゆほどもないのでこれは除外。ほかに「閑所」というのが出てきた。静かな場所という意味だが、厠(かわや)を指すともある。「御閑所」は、トイレのことを指す雅な言い回しだった。
「ああら、我が君」といった調子の丁寧すぎる言葉遣いが玉に瑕の女房をもらった長屋の八五郎を描く落語「たらちね」を思い出した。