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脚立がプカプカ浮くの、知ってた?

 アルミ脚立が水に浮いてトンネルの中へ流されていった。指をくわえて見てるしかなかった。

ロープ代わりにツル

 水路の底から護岸の上まで高さは大人の背丈ほどあるだろうか。水深は数センチほど。いつも車に積んでる3段ほどのアルミ脚立を使えば、どうにか上り下りできそうだった。ただ問題は、どうやったら脚立を底にセットできるか、そして使用後に回収できるかだ。

 あたりを見回すと茂みにつるがからんでいた。ロープ代わりに結びつけておけば、どうにかなりそうだった。脚立につるをくくりつけ、そろりと下ろしたら、うまくセットでき、水路内に降り立つことができた。

奥へ奥へ流された

 撮影を終えて垂直の護岸をよじ登り、用済みの脚立を引っ張り上げる段になった。気が緩んでいたに違いない。そもそもぎゅっと結べていたわけでもない。つるを引っ張ったらするりとはずれ、斜めになって引き上げられていた脚立は下に落ちてパタンと倒れた。

 そしてそのまま水に浮き、緩やかな流れに乗って水路トンネルの奥へ奥へと移動していく。取り戻そうにも、水路へ降りるすべがもう無い。

 百メートルほど先のトンネルの出口へ大回りしてみたが、しばらく待っていても流れてくる気配はない。だいいち、ちょっとやそっとでは近づけないような場所だった。あきらめた。

江戸時代のトンネル

 忠臣蔵のふるさと播州赤穂は、塩づくりで名を馳せた。デルタ地形が生産に向いていたおかげだが、井戸を掘っても塩気がきついという短所があって、江戸初期から城下に上水道が整備された。

 その上水道の水路として掘り抜かれたのが「切山隧道(きりやまずいどう)」と呼ばれるトンネルだった。脚立を失ったのは、手掘りの跡が一部に残るこのトンネルの内部を写真に撮っている時だった。

手元に戻った!

 ゴム長や雨合羽とともに脚立は車に常備していた。その日は下見だけのつもりだったけど、「これなら行けるかも。たぶん行けるで。もう行っちゃえ」と現地取材を決行したのだった。ちゃんとしたロープとか大きめの脚立とか下準備をしとけばよかったんだけど。

 トンネルに飲み込まれていったこの脚立は後日、市役所の人が何かの折に見つけて回収してくれた。失くしたいきさつは伝えてあったし、社名も大きく書き込んであったので、手元に戻ってきたのだった。

なのに、またもや

 なのに、大喜びしたのもつかのま、この脚立をまたもや失ってしまった。とあるイベントの取材でいったん離れた場所に戻ってみると、残したはずの脚立が消えていたのだ。防犯チェーンは付けていなかった。縁の薄い脚立だった。

 脚立の話じゃないけれど、ある人から「あんたとは縁が薄いのう」と言われたことがある。気が急いていて相手の人をテキトーにあしらった天罰だった。悪いことをした。

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