新聞紙でお尻を拭いてた。ある日、
「落とし紙」に古新聞
トイレが水洗式になる前、個室の片隅に「落とし紙」が積んであった。用が済んだらそのまま便槽に落とすのでそう呼ばれた。
我が家の場合、専用のちり紙になったのはだいぶ後のことで、子どもの頃の落し紙は古新聞だった。読み終えた新聞紙を適当な大きさに切って積み上げてあり、それをもんで柔らかくしてはおしりを拭いたものだった。専用のちり紙は贅沢品だった。
愛娘の所業
同い年のつれあいの生まれ育った家も、地域や業種は異なるけれど同じく小さな商店で、落し紙は新聞紙だった。裁断するのは父親の役目で、いつもていねいに仕上げていたという。
小学生だったつれあいはある日、個室の隅に積んであった新聞紙の落とし紙を何十枚か何百枚か丸ごと便槽に落とした。家庭訪問に来る先生がもしもトイレに入って新聞紙の落とし紙を見たら恥ずかしい--というのが理由だった。そのころ、家によっては専用のちり紙を置いていたのだろう。
つれあいは、年の離れた兄や姉のいる末娘で、孫のように父から愛されていた。せっかく作った落し紙を捨てるという所業が愛娘のしわざとわかって父親はどんな気持ちがしただろう。
紙もかわる
つれあいもわしも、第二次大戦を終結させるサンフランシスコ講和条約の発効直前に生まれた。終戦後のまだ占領期だったことになる。のちの経済成長のきっかけとなる朝鮮戦争の時期ともかぶる。
年月とともに、我が家の落とし紙はいつの間にか専用のちり紙になり、やがて水洗化されると巻き紙のトイレットペーパーとなった。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず……」という『方丈記』の一節をこないだテレビでやってた。「トイレの紙にもあてはまるのう」なぞと、お尻をお湯が洗ってくれる便座にすわりながらぼんやり思った。